統合報告書に託した大学の想い

大学の“価値創造”を伝えるために 明確なターゲットとコミュニケーション戦略が重要

  • コンテンツ本部 ソリューション3部 兼 大学ブランド・デザインセンター コンサルタント 廣田 亮平

2018年、東京大学が日本の大学として初めて「統合報告書」を発行して以来、統合報告書を発行する大学が増えている。その多くは、2004年の独立行政法人化により社会における位置づけが変わり、経営の取り組みが求められるようになった国立大学だ。この流れは今後、私立大学も巻き込んでさらに加速するのだろうか。東京工業大学企画本部戦略的経営室・財務部特任専門員でもある公認会計士の植草茂樹氏に、大学における統合報告書の意義や制作上のポイントなどを聞いた。
聞き手=大学ブランド・デザインセンター コンサルタント 廣田 亮平/文=牛島 美笛

2021年度以降、20校以上の大学が統合報告書を発行しています。国立大学を中心に統合報告書を発行するようになったのはなぜでしょうか。

植草 国立大学では、従来財務レポートのほか、環境報告書、事業報告書、評価報告書、USR(大学の社会的責任)レポートなど、さまざまな報告書を作成しています。そういった中で、いくつもの国立大学が統合報告書を作り始めている背景には、大学が「その価値を争う時代」になったということが影響しています。近年の大学に課せられた“価値創造”というミッションをレポートするツールとして、財務情報と非財務情報からなる統合報告書はとても適しているのです。

一方で、大学側は統合報告書のあり方を悩んでいます。先日開催した大学向けの統合報告書の勉強会では、「事業報告書と何が違うのか」といった質問を受けました。確かに、統合報告書と事業報告書では、内容などで重なる部分もあります。特に私立大学の事業報告書にはビジュアル的に作り込んだ事業報告書も多く、さらに統合報告書まで作る必要があるとは思えないのだそうです。

この問いに対して、私は「事業報告書は『単年度』ごとの事業計画に対するPDCAの結果を報告するものであるのに対して、統合報告書は『未来志向で大学の価値』を伝えていくもの」と説明しました。これらは時間軸がまったく違うのです。ただし京都大学では財務レポートを統合報告のフレームワークで作成しているように、事業報告書に統合報告の枠組みを組み込むという考え方もあると思います。

2020年頃から多くの大学が統合報告書を作り始めた理由もあるのでしょうか。

植草 国立大学の活動原資である運営費交付金の傾斜配分の指標の一つに“学外への見える化(大学独自のステークホルダーの情報開示の取組)わかりやすい財務報告”という項目があり、その具体例として財務レポートや統合報告書が例示されていたことです。運営費交付金の評価にプラスになるのであれば、という考えから統合報告書を作った大学が一気に増えたという背景があります。

しかし、この傾斜配分の算定基準が変わってしまったとしたら、この基準のためだけに統合報告書を作っていた大学は、発行の継続を見直すかもしれません。残念ながら「統合報告書」という名称がついているだけで、本来的な統合報告の趣旨が伴っていないものもあったと思います。

では、改めて大学が統合報告書を発行する意義を教えてください。

植草 統合報告の作成には学内関係者が多様に関わるため、発行にかかる人件費を含めたコストがかかるので、発行するためにはコストに見合った意義を見出す必要があります。「政府からの評価上プラスだから」または「運営費交付金につながるから」という動機ではなく、大学が大学自身の価値を社会に示すため、ひいては学生確保や外部資金の導入につなげるという明確な目的のもと、外部に目を向けたツールであることを意識して作ることができるかどうかではないでしょうか。特に近年の産学連携は、大学と企業が価値とミッションを共有しながら価値ベースで進められる傾向にあるのでその視点は重要です。産学連携以外でも、広く寄附を募るときや受験生確保、学生・保護者・卒業生の帰属意識向上など、様々なステークホルダーに大学の将来のミッションや大学の価値について、メッセージをまとめたツールはありませんでしたが、統合報告書であれば、そのような内容をコンパクトに伝えることができます。

ただし、メインとなるステークホルダーをどう設定し、何を伝えたいかが決まらなければ、中身も固まらないはずです。それが財務報告書や事業報告書のような制度化された報告書と違うところでもあります。企業が発行する統合報告書は機関投資家を含む投資家をターゲットとしていますが、大学の場合はそういった割り切りが困難です。例えば、法人債を発行した東京大学のように投資家を意識したものとするか、東京工業大学のように対企業をメインと割り切るか、それによって目的も内容も変わってきます。

統合報告書を作って終わりにせず、有効活用するにはどうすればいいでしょうか。

植草 できればホームページに載せるだけでなく、コミュニケーションのツールとして意識的に使うことが望ましいと思います。大学であっても株主総会のようなスタイルで統合報告書の中身を報告している大学もありますし、フォーラムを開催した大学もあります。東京工業大学では、学長が企業・学生・保護者・同窓会・教職員のそれぞれに向けて、学長が自ら統合報告書を説明しました。そこでのコミュニケーションが次回以降の統合報告のブラッシュアップにも活用できるサイクルを目指していくことが可能です。

国立私立の違い以外にも、研究大学院のような理工系大学とそうでない大学という違いもあるでしょうか。

植草 大学の価値も多様で、研究者、知的財産などの知的リソースのほか、収蔵品である図書や資料も大学にとっての価値です。それぞれの大学にとっての価値は何で、どのタイミングで、誰に伝えたいか、といったことを戦略的に考えることは必要です。

最後に、統合報告書の作成において重要なポイントを教えてください。

植草  繰り返しお話ししているように、大学の価値を伝えたい相手、ターゲットとするステークホルダーをどう設定するかだと思います。例えば、大学にとっては学生もステークホルダーです。教育の価値を学生や保護者に伝えることはもちろん重要ですが、未来にどのような人材を輩出するのかといった価値も伝えるべきものの一つです。そう考えると、学生以外でも、企業や地域、受験生・高校関係者、卒業生とターゲットは広がります。

一方、今企業の多くは統合報告書を発行しています。大学が産学連携等で企業とコミュニケーションをとるという意味でも、統合報告書を作成して企業の経営者と同じ目線に立つことは有効だと思います。今後、大学の統合報告が発展していくためには、明確なステークホルダーの設定とコミュニケーション戦略を考えつつ、統合報告書を作る意義を見いだせるかどうかが重要だと考えています。

連載:統合報告書に託した大学の想い

植草 茂樹(うえくさ・しげき) 氏

公認会計士
東京工業大学企画本部戦略的経営室・財務部特任専門員
東京農業大学客員教授
(独)国立青少年教育振興機構監事
植草 茂樹(うえくさ・しげき) 氏

内閣府PEAKS(大学支援フォーラム)会計・資産活用WG主査、文部科学省国立大学法人会計基準等検討会委員、大学教育質保証・評価センター評議員

※肩書きは記事公開時点のものです。

コンテンツ本部 ソリューション3部 兼
大学ブランド・デザインセンター コンサルタント
廣田 亮平

大学のブランド戦略・広報活動をワンストップで支援する大学ブランド・デザインセンターのコンサルタント。広報誌やWebサイトの企画立案、コンテンツ制作を通じて組織におけるコミュニケーション課題の解決に取り組む。

※肩書きは記事公開時点のものです。

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