資生堂 代表取締役 社長 CEO魚谷雅彦氏が語る

資生堂はなぜ人的資本経営に取り組むのか

  • 古塚副本部長2020

    サステナビリティ本部 本部長 古塚 浩一

資生堂は「BEAUTY INNOVATIONS FOR A BETTER WORLD(美の力でよりよい世界を)」を企業使命に掲げ、社会課題の解決に向けて、様々なイノベーションに取り組んでいる。
2014年に社外から社長に就任し、強力なリーダーシップで変革に挑み、グローバルでの成長を促している魚谷雅彦氏と、 DXによる企業価値向上を人的資本のデータ・可視化及び人財育成から支援するIGS社長の福原正大氏が、資生堂の人的資本経営の取り組みや日本の企業の在り方について対談した。

【特別対談】
資生堂 代表取締役 社長 CEO 魚谷雅彦氏
Institution for a Global Society(IGS)代表取締役社長 福原正大氏
構成=古塚 浩一
文=小槌 健太郎
写真=木村 輝

人財の持つ力が企業を成長させる

福原 魚谷社長が人的資本を重視してビジネスを行うようになったきっかけや、人財についての考え方を教えてもらえますか。

魚谷 私は1977年に大学卒業後、ライオン歯磨(現在のライオン)に入社しました。大学で文学部だったことなどもあり、海外への留学に関心があり、留学制度がある企業を就職先として考えました。

当時はほかにも銀行や証券など金融系や商社などは留学制度が整備されていましたが、日本はものづくりの国だという思いがあり、メーカーであるライオンを選びました。人事面接でも留学させてもらえたら、海外事業の拡大に貢献するなどと大見得を切ったことを覚えています。

ライオンでは消費財ビジネスの面白さを学びました。週末にお店に行くと、自分たちの商品を消費者が手に取ってくださるのを見て、とても嬉しかったものです。消費者に商品を使ってもらって、幸せを感じてもらう消費財ビジネスでは、人間を理解することが何よりも重要です。消費者がなぜ商品を買うのか、どんな広告をいつ見て商品に関心を持つのかということを考えるのがとても面白かったのです。

魚谷 雅彦 氏

資生堂 代表取締役社長 CEO
魚谷 雅彦 氏

企業の側も製品を作って、パッケージや広告を考えたりするのもやはり人です。営業活動をしていて、辛くなった時にも得意先との人間関係で救われたり、人と人との信頼関係でビジネスは成り立ったりしていると実感しました。

社員や管理職、役員などの役割や、総務部や開発部、営業部などの組織がありますが、結局のところ人の知恵や情熱の総和で企業のビジネスは成り立っているのです。

コカ・コーラの物語を語っている人財の力

その後、私は日本コカ・コーラに転職しました。コカ・コーラは100年以上の処方で作った飲料を売り続けています。ただの飲料と考えればほかにも数多くありますが、コカ・コーラがナンバーワンのブランドを維持できているのはコカ・コーラの物語を語っている人財の力なのです。

コカ・コーラはご承知の通り米国のブランドで、戦後GHQと一緒に入ってきて普及しました。日本には全国にコカ・コーラを製造・販売するボトラーという企業があります。そこで働く人たちが、コカ・コーラのビジョンを信じて情熱を持ってビジネスを行ってきたからこそ、今の日本のコカ・コーラがあるのです。そうした経験を通して、企業にとっての価値は人であるという考えを持つようになったといえるかもしれません。

福原 今のお話は、私が教えている学生にも聞かせたいと思いました。製造からマーケティング、営業まですべての企業活動は人が中心であり、人を科学することで企業価値を向上できるということですね。人を科学することから企業価値向上を実証した論文で、消費者の多様性(ダイバーシティ)と同じダイバーシティを持つ役員会や社員構成がある企業は業績で成果を出すというものがあります。魚谷社長は、まさにリーダーとして、人を科学し実践されていらっしゃるのですね。

福原 正大 氏

Institution for a Global Society(IGS)代表取締役社長
福原 正大 氏

魚谷 コカ・コーラでも資生堂でも同じように考えてきましたが、サイエンスとアートは生物において遺伝情報の継承と発現を担うDNAと同じで、お互いに螺旋形を描いて絡み合っています。消費者に対して調査を実施して論理的に分析しても、その結果をどう感じて、どのような商品にしていくか、最後は感性に基づいて決定します。ビジネスにおいて論理性はもちろん大切ですが、人の感性も重要な要素なのです。

資生堂をグローバルで成長し、100年先まで続く企業に

福原 私は統計学を専門に学んできました。データサイエンティストが最後に判断や評価の基準にするのも、やはりアートです。数値のデータはそれだけでは意味を持ちません。そこから何を読み取り、どのように活用していくかは人の仕事です。

ダイバーシティなど従業員に関するデータを資生堂ほど開示している企業は、他にはほとんどありません。人的資本の開示に関する考え方について教えてもらえますか。

魚谷 私は資生堂生え抜きの社長ではありません。2014年に社外取締役らで構成する「役員指名諮問委員会(現、指名・報酬諮問委員会)」で社外から社長を採用しようと決断して、私が社長に指名されました。

その際に私が考えたことは、資生堂をグローバルで成長できる企業にすることと、100年先まで続く企業にするという2つでした。グローバル化や持続性を考えたときに、最も重要だと考えたのは多様性です。性別や国籍といった多様性だけでなく、発想の多様性が大切です。

消費者の考え方はどんどん多様化していて、自分たちも多様化していかないといけません。資生堂は化粧品を扱う企業だから女性が多いというだけでなく、外国籍の人や年齢の若い人や年配の社員、障害を持つ人やLGBTQなど多様な社員が多くいます。

新卒一括採用、年功序列、終身雇用の弊害

私は高度成長期以来の企業で一般的だった新卒一括採用、年功序列、終身雇用という保守的な考え方には反対です。このやり方を続けていては、日本の企業は閉塞的なままで、現在の多様な社会のニーズには対応できません。

これまで当たり前のように取り組んできましたが、外部の人から女性社員や役員の比率を高めていてすごい、と言われたことがあります。日本の一般的な企業からすると、とてもユニークなことに気がつきました。

創業150周年を迎え、「BEAUTY INNOVATIONS FOR A BETTER WORLD(美の力でよりよい世界を)」を企業使命に掲げて、美の力を通じて社会の課題解決や発展に寄与するための大きな節目となり、環境問題やダイバーシティの実現という社会課題に対して、さまざまなイノベーションを起こすことに積極的に取り組んでいます。

当社の企業としての在り方をベストプラクティスとして共有することで、日本の企業社会を変革していくことに貢献できるのではないかと考え、人財に関する情報はどんどん開示するようにしています。

企業の役員に占める女性比率を向上することを目的に、2010年に英国で創設された「30% Club」 (サーティパーセント クラブ)が、2019年に日本で「30% Club Japan」として活動を開始した際には会長に就任しました。多くの企業のCEOや会長、取締役会議長などがメンバーになってくれて、ジェンダーの課題を喫緊のビジネス課題と捉え、主体的にダイバーシティの取り組みを推進しています。

BSの視点で人的資本のリターンを考える

福原 IGSは、一橋大学大学院 小野教授と一緒に企業の人的資本を計測し、人的資本が企業価値に与える金額を算出する数理モデルを開発する実証研究を進めています。資生堂が次にどのようなデータを開示し、アジアや日本の企業にとってのロールモデルになろうとしているのか教えてもらえますか。

魚谷 企業の経営者はPL/BSを見て、日々の経営を考えたりします。例えば資生堂は最近、国内3ヵ所に約1,450億をかけて工場を設立しました。工場や研究所を作る際には厳密に議論して、ROIなどを細かく分析しながら進めます。なぜなら、工場や研究所を設立するのは企業にとっての投資であり、資本になるからです。

ところが、人財にかけるコストに関しては企業の財務諸表のPLで費用(エクスペンス)として計上され、企業の資本を表すBSには出てきません。これだけ人財に対して投資をしているのに、費用としてしか出てこないのはおかしいのではないでしょうか。

まだ、確固たる考えがあるわけではないのですが、多様性が増した組織がどのような財務的な価値を生むか実例を積み上げていく必要があります。社員の男女比などデータは既に蓄積されているので、その結果どのような実例が生まれて、どのように業績が伸び、例えばPBR(株価純資産倍率)がどれだけ向上したかなどを示したいと思っています。

人財の多様性こそ企業が成長する源泉になる

福原 今、経済産業省と一緒に中・高生の創造力やダイバーシティへの感度などの非認知能力を評価しデータを分析する事業を実施しています。社会における非認知能力の重要性が実証される中、若い時からどのようにそのような力が育まれるのか、どのような教育が有効か、企業が採用などでどのようにこうしたデータを活用できるのかの研究を行っています。

魚谷 人間はいろいろな周囲の環境に左右されて成長していきます。私は奈良県で育ちましたが、当時は女性とコミュニケーションをとるのも憚られるほど、保守的な環境でした。ですが海外を志向するようになって、女性の友人も多くできるようになりました。大学時代には、米国社会の自由な雰囲気や、若者が自分達で行動を起こしていったり、ウーマンリブの活動があったりと、日本と違う環境に憧れて、貯金をして米国に旅行したりしました。

福原 そうした魚谷社長の経験がダイバーシティを重視する考えにつながっていったのかもしれませんね。

資生堂は特別だと言わることも多いと思いますが、日本の企業が変わっていくための方策や処方箋のようなものはあるでしょうか。

変わらなければ未来がないという危機感

魚谷 日本の社会は人口減少や高齢化といった構造的な問題を抱えています。将来にわたって、企業が発展していくためにはグローバル化して世界でビジネスをしていくことは必然です。

均質的な社会である日本と違って、世界の国々は文化も宗教も考え方も違い、多様であることが前提です。ある意味、日本は非常に特殊な社会と言っていいかもしれません。素晴らしい伝統はあっても、多様な考え方に触れてこなかった面があります。

多様性を受け入れて、世界の企業といろいろな意味で渡り合っていくのが企業人としての使命だと考えるのであれば、経営者が考え方を変えて企業が変わっていかなければ実現できません。説教じみたことを言うつもりはありませんが、何事も変えることが苦手な日本で、変わるべき点は勇気を持って変えていかないと未来がないという危機感がいろいろなことを後押しするのです。

福原 IGSのDXに関するバイアスや能力を評価するツールで、大手企業の社員や役員を計測・分析したところ、日本の企業は役員などがリスク回避の意識が強く、能力のダイバーシティも適切に把握し活用できておらず、イノベーションが起きにくい面があることがわかりました。

魚谷 複合的な要因があるとは思いますが、日本の企業は新卒一括採用のメンバーシップ型雇用が主流です。そのため会社に対するロイヤリティが高く、家族的な雰囲気があるという良い面はあります。そうした良い面はありつつも、外部から違う考え方の人が加わってダイバーシティが高まることで、新しい考え方や文化などが生まれていきます。当社の取締役・監査役における社内と社外の役員比率は、約1:1の比率になっています。

先ほどお話ししたように、私は社外から社長として採用されました。社外取締役が資生堂の将来に対して、直面している課題を乗り越えて成長していくためには、あえて生え抜きの社長ではなく社外から採用すべきだと主張して実現したと聞いています。企業にとってESGの重要性が問われていますが、資生堂は、ESGの中で上位概念である、G(ガバナンス)がとても効いているといえます。

福原 正大 氏 魚谷 雅彦 氏

ESG経営はガバナンスが肝

福原 ESG経営はガバナンスがしっかりしているからこそ実現できるということですね。

魚谷 事業ポートフォリオマネジメント、キャピタルアロケーションなどにおいて、企業価値の向上につながる適切な意思決定を行うためには、社外取締役の役割が非常に重要です。企業が成長していくために、社長を後押しして変革していく役割をガバナンスが担っているのです。

福原 最後に資生堂がESG経営や人的資本に関して目指す方向性をお話しいただけますか。

魚谷 資生堂は2020年に国内の一部の管理職を対象にジョブ型雇用制度を導入し、2021年からは国内全ての管理職・総合職(美容職、生産技術職は除く)にも範囲を広げています。ジョブ型制度を日本の風土に合うようにカスタマイズして「ジョブグレード制度」としているのが特徴です。

会社が求めていることを明確にして、その仕事に対する適材を年齢も性別も国籍も関係なく配置します。その成果がどれくらいの価値があるかに従って、給与などの報酬も決められるべきでしょう。日本の企業だけでなく、海外の企業と比較して給与に競争力があるかどうかを考えていく必要があります。

社員本人も、そのポジションに必要な能力と現在の自分が持つ能力との差を埋めるため、社外で勉強したり、実務を通じて身につけたり、人との関わりで育成したりして、成長していくことができるのです。

福原 ジョブ型の導入によって能力を中心に据えて考えられているとのことですが、「人的資本」の概念を提唱したノーベル経済学者のゲーリー・ベッカー教授によれば、人的資本とはまさに「能力」です。先ほど申し上げた一橋大学との研究会では、企業の社員の「能力」データを扱って人的資本の企業価値を計算するプロジェクトを進めています。各社員の能力市場価値を計算し企業の人的資本を定量化しているのですが、急速に変化する市場で、適切にグローバルレベルの競争に適応できるリスキリングを進めないと、今後人的資本が急激に陳腐化する可能性を示唆しています。

魚谷 ビジネスがグローバル化していくことが前提であれば、能力についても、ベンチマークにすべきはグローバル企業です。役員クラスにはそういう発想で考えてほしいのです。

例えば、私自身も社長CEOとして、グローバル企業の中で競争力があるのかといった視点で考えなければいけません。社長という役割に見合った能力や、提供できる価値を持っているかで判断すべきです。経営層や役員層も自分の持つ能力やパッションには無限の価値があると感じながら、現在のビジネスに集中してもらいたいと思います。

魚谷 雅彦 氏

資生堂 代表取締役 社長 CEO
魚谷 雅彦(うおたに・まさひこ)氏

1954年奈良県生まれ。77年同志社大学文学部卒業後、ライオン歯磨(現ライオン)入社。83年米コロンビア大学経営大学院卒業(MBA取得)。94年日本コカ・コーラ取締役上級副社長・マーケティング本部長、2001年社長、06年会長。13年資生堂マーケティング統括顧問。14年6月代表取締役執行役員社長兼CEO、22年代表取締役社長 CEO

※肩書は記事公開時点のものです。

福原 正大(ふくはら・まさひろ)氏

Institution for a Global Society(IGS)
代表取締役社長
福原 正大(ふくはら・まさひろ)

慶應義塾大学卒業後、東京銀行(現三菱UFJ銀行)に入行。フランスのビジネススクールINSEAD(欧州経営大学院)でMBA、グランゼコールHEC(パリ)で国際金融の修士号を最優秀賞で取得。筑波大学で博士号取得。2000年世界最大の資産運用会社バークレイズ・グローバル・インベスターズ入社。35歳にして最年少マネージングダイレクター、日本法人取締役に就任。2010年に「人を幸せにする評価で、幸せをつくる人を、つくる」ことをヴィジョンにIGS設立。

※肩書は記事公開時点のものです。

古塚 浩一

サステナビリティ本部 本部長
古塚 浩一

2018年、日経BPコンサルティング SDGsデザインセンター長に就任。企業がSDGsにどのように取り組むべきかを示した行動指針「SDGコンパス」の5つのステップに沿って、サステナビリティ経営の推進を支援。パーパスの策定やマテリアリティ特定、価値創造ストーリーの策定から、統合報告書やサステナビリティサイト、ブランディング動画等の開示情報をつくるパートまで、一気通貫でアドバイザリーを行うことを強みとしている。2022年1月よりQUICK社とESGアドバイザリー・サービスの共同事業を開始。ESG評価を向上させるサービスにも注力している。

日経BPコンサルティング通信

配信リストへの登録(無料)

日経BPコンサルティングが編集・発行している月2回刊(毎月第2週、第4週)の無料メールマガジンです。企業・団体のコミュニケーション戦略に関わる方々へ向け、新規オープンしたCCL. とも連動して、当社独自の取材記事や調査データをいち早くお届けします。

メルマガ配信お申し込みフォーム

まずはご相談ください

日経BPグループの知見を備えたスペシャリストが
企業広報とマーケティングの課題を解決します。

お問い合わせはこちら