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企業がいま「人的資本」の見える化を急がなければいけない理由

  • 古塚副本部長2020

    サステナビリティ本部 本部長 古塚 浩一

ESG(環境・社会・ガバナンス)投資の文脈で、企業が株主・機関投資家等のステークホルダーに向け、企業価値に直結する要素として無形資本の情報開示を推進する中、無形資本の中でも、人的資本の情報開示に注力する企業が近年増えている。「企業にとって一番大事なのはヒト」だと常々当たり前のように言われてきたが、その上でなぜ今、改めて人的資本の重要性が叫ばれているのか。そして企業は人的資本の情報開示にどう対処すればいいのか、HRテック企業・Institution for a Global Society(IGS)のCEOであり、一橋大学ビジネススクール特任教授・慶應義塾大学経済学部特任教授を務める福原正大氏に話を聞いた。

いまこそ人的資本を見直す最後のチャンス

先行きを見通すことが難しいコロナ禍を経て、トランスフォーメーションを起こすその原動力として人的資本の重要性が改めて叫ばれ、統合報告書においても人的資本を企業価値の要素として算出することを試みようとする、あるいは人的資本の情報開示に力を注ぐ企業が増えています。なぜ今、世界において無形資本の中でも人的資本が改めて注目されているのでしょうか。

福原  人的資本が重要なことはいつの時代も不変ですが、今改めて注目されているのは、一言で言うと、金融市場における投資の変化から起きています。もともと1940年代から、人的資本に根ざした投資には意味があると言われてきました。ところがその一方で、人的資本をデータ化・定量化する取り組みはなかなか進みませんでした。人の能力や将来のポテンシャルをどう可視化するか、それが財務データのトップラインやボトムラインにどのような影響を与えるのかが明確でなかったためです。

伝統的な考え方で言うと、財務諸表上は、人の給与の総額が人的資本だとされてきました。ただ、そこには人をコストとしてしか考えず、資本としての人間が生み出すヒューマンキャピタル価値を資産計上していなかった現実があります。こうした中で1990年代中盤から後半にかけ、米国でHRテックが登場しました。その本質は人の能力をデータ化するところにあります。人材を資本として評価する土台ができたのです。

福原正大氏

Institution for a Global Society株式会社
CEO
福原正大氏

また、リーマンショック後の株主・市場資本主義に対する懐疑や環境問題の深刻化が広がる中でESG投資が生まれました。S=社会の部分で、人は企業にとって中長期的価値を生み出す一方、リスクにもなりうるため、ESG投資の中で人を資本として捉えようという議論になってきたわけです。

そうした世界の動きに対して、日本はどうだったのでしょうか。

福原  日本でHRテックが初めて出てきたのは2010年代半ばですから、米国と比べて20年遅れのスタートと言えます。ですが、実は日本にはもともと近江商人の、売り手よし買い手よし世間よしという「三方良し」の発想があったのです。これは売り手である従業員も大切にする考え方ですから、日本企業はもっと早く人的資本の重要性に気づいてしかるべきでした。人材を重視するのはある意味当たり前だったため、人材を資本と捉えて投資をすることから企業価値を高める、という視点が欠けていたのかもしれません。HRテックは米国で先に始まり、日本は結果的に後追いして欧米の考え方をそのまま取り入れる形になってしまいました。私としては非常にもったいない、もっと言うと企業価値の損失につながっている事態だと認識しています。

お話いただいたように、人的資本の価値を投資家が精緻に評価しようとする動きがある中で、米証券取引委員会(SEC)が2020年11月、米国の全上場企業に対して人的資本の情報開示を義務付けました。これは衝撃的なニュースでしたね。

福原  人的資本への注目度を高める上で決定的な出来事でした。米国企業だけでなく、米国で上場している日本企業も人的資本について考えなければいけなくなったわけです。

ところが、ここで一つ冷静に考えなければいけない事実があります。実はバブルまでは、日本企業はしっかりと人に投資していました。しかしバブル崩壊以降は人への投資をコストと捉え、その投資を怠って内部留保を重ねてきたのです。すなわち、人を資本(アセット)として捉えられなくなったのです。モノからコトへの流れの中でモノにストーリーを与え、それに基づくサービスを展開し、共感を生んでいくのはまさに人の仕事。しかも日本には「三方良し」の考え方もあったにもかかわらず、人への投資を削ってきました。

さらには、日本企業はDXへの投資もしてきませんでした。コロナ禍において炙り出されてしまったように、デジタルの分野では明らかに世界から遅れています。日本企業は本当にここで目を覚まさなければいけません。このままでは、世界の中でどんどん日本のプレゼンスは低下していきます。もちろんそこに気づいている日本企業はあり、そうではない企業との差は一段と激しくなっています。ただ気がついている企業も、人の部分をデータで定量化し、しっかりモニタリングしていくところまでは残念ながら至っていません。

人的資本の情報開示とISO30414

人的資本の価値を企業価値として算出するにあたり、どのようなデータの取り方が求められるのでしょうか。

福原  これに関しては企業により様々だと思います。代表的なものとしては、エンゲージメント(社員と企業が信頼し合うような状態)が挙げられるでしょう。人事のリスクに離職リスクがありますが、離職リスクを直接的に測る、例えば個人のメールを許可なく勝手にチェックするようなやり方は米国でもできなくなりました。個人情報保護がこれまで以上に重要になる中、個人にとって明らかに不利となる情報を企業に利用できなくさせたのです。ただ、エンゲージメントが高ければ離職リスクは少なく、逆に低ければリスクは高いので、直接測らなくてもある程度は推測できるでしょう。

Society5.0時代に特に注目されているのはコンピテンシー(優れた業績や成果につながる行動特性)です。従業員のコンピテンシーが分からなければ、次への変化、例えばモノからコトへ、DXといった改革を実施するにあたり、誰が適材適所であるか、誰がビジネスモデルをひっくり返すほどの発想ができるかも分かりません。

投資家も人的資本の情報開示に注目していると思います。投資家はどのような点を見るのでしょうか。

福原 ある企業で360度評価を実施し、組織へのエンゲージメントのデータを3カ月ごとに取り続けたところ、エンゲージメントの低下が明白な従業員は、結局辞めていくことが分かりました。こうした数字が出てくれば、投資家もそこで判断できます。まさにESG投資の「S(社会)」の部分です。人的リスクは大きな要素であり、金融機関も今は人的リスクが深刻な問題につながる可能性を認識しています。

その人的資本に関する情報を開示する上で国際標準のガイドラインとなる「ISO30414」が、ここにきて経済メディア等で盛んに紹介されるようになっています。この「ISO30414」の誕生の背景と概要を教えてください。

福原 「ISO30414」はもともと2018年に出されたもので、企業にとっての人的資本を測り、可視化・定量化するためのガイドラインとなります。誕生の背景としては、従来のヒューマンキャピタルの情報が不十分であったため、人と売り上げや利益がどうつながっているかを体系立てて分析し、ステークホルダーへの透明性を高めようという動きが出てきたことが一つ。また、日本では働き過ぎの問題がクローズアップされていますが、人間らしい働き方への注目度は世界的に高まっており、その情報を投資家が求めていることも大きな理由です。これは将来的な企業リスクにつながり、企業価値の低下が予測されるからです。

2020年のコロナ禍をきっかけに、人の価値を見つめ直す動きがさらに広がり、最終的にはSECが人的資本の情報開示を義務付けたことで、「ISO30414」が注目されています。ただ、SECは「ISO30414」を義務化しているわけではなく、そうした基準を参考にしつつ、積極的に人材価値情報を出してくださいということです。ですので、日本においては、「ISO30414」を意識しつつ、まずは人材情報価値を可視化しつつ、積極的に出していくことが大切です。

「ISO30414」に対する海外企業の動きと、日本企業の対応はどうなっていますか。

福原 簡単に言えば、世界的な現象です。結局のところ米国は資本主義のコアであり、そこが人的資本の情報を重視すると言い出した以上は取り組まざるを得ない、という話です。ですから、日本企業も動かなければ世界の中で完全に取り残されます。ただ、正直、日本企業の人材情報を有価証券報告書や統合レポートでみると、ほとんど情報がなく、このままでは世界的に日本株が買われなくなるリスクがあると思います。

これだけは押さえておきたい、ISO30414の注意点

ほとんどの企業は「ISO30414」に準じた人材価値情報の提供にこれから取り組むことになると思います。取り組む際の課題や注意点を教えてください。

福原  まず前提として、人に投資してそれが財務データに表れるまでには5年、10年といった時間がかかりますし、その期間の時系列データも必要なので、一刻も早く取り組むべきです。ただ、どうにもスピード感が足りません。

DXに向けて会社を動かすのは人です。現在、自社の足元がどういう状況で、5年後10年後にどういった姿を目指すかを検討するには、経営戦略を人事と合わせて考える必要があります。ところが日本企業は、経営戦略と人事が分断される傾向にあります。DXの推進には、新しい時代に合った人材が社内にどれくらいいるのか、いないならどう教育・育成するのかを考え、それを戦略として対外的に公開し、投資家にも理解してもらって人材リスクを落としていく必要があります。

優秀な人材は世界でも取り合いですから、日本企業はトップ人材を採用できないリスクをもっと深刻に認識すべきです。日本は大きな人的リスクを背負っていること、だからこそ人を中心に置いて戦略を考え直さなければならない点に、日本企業は早く気づくべきだと考えています。

CHO/CHRO(最高人事責任者)を置き、経営戦略と人事戦略の一体化を推進している企業はまだまだ少ない印象ですね。そして、この問題が待ったなしであること、放置した際に想定されるリスクの算出に踏み込めていない企業も多い印象です。最後に、人的資本の情報開示をどう進めるべきかについてのアドバイスをお願いします。

福原  まずは人材データを取り、分析して、現状を知るべきです。その上で戦略と照らし合わせ、人材についてどのような対応をしなければならないか、リスクはどこにあり、それを避けるにはどのような施策を打っていくべきかを、統計的に意味のある数値をベースに考えなければいけません。

ここで重要なのは、「ISO30414」への対応を目的化してはいけないということ。「ISO30414」は標準化されておらず、解釈の余地が数多く存在します。日本企業は、これ以上負け組であり続けないために、「ISO30414」に準じながらも、企業ごとの戦略に合わせて取り組みを進めていくことが重要になってくるでしょう。

2020年度の日本企業の統合報告書を見ていても、株主・機関投資家からの評価が高い統合報告書は人的資本の情報開示に他の無形資本以上にページを割いている印象です。この動きが加速していくことを私自身、実感しています。
Institution for a Global Societyと私たちSDGsデザインセンターは、人的資本の情報開示アドバイザリーに今後さらに力を注いでいきます。
福原様、本日はありがとうございました。

福原 正大(ふくはら・まさひろ)氏

Institution for a Global Society株式会社
CEO
福原 正大(ふくはら・まさひろ)

慶應義塾大学卒業後、東京銀行(現三菱UFJ銀行)に入行。企業留学生として、INSEAD(欧州経営大学院)にてMBA、グランゼコールHEC(パリ)にてMS(成績優秀者)、筑波大学で博士号(経営学)を取得。その後、世界最大の資産運用会社 Barclays Global Investors に入社し、Managing Director、日本における取締役を歴任。2010年IGS株式会社を創設。2016年2月より、人工知能とビッグデータを活用して、採用や企業の組織分析を行う「GROW」をサービス開始。著書に『人工知能×ビッグデータが「人事」を変える』(朝日新聞出版)など。

※肩書は記事公開時点のものです。

古塚 浩一

サステナビリティ本部 本部長
古塚 浩一

2018年、日経BPコンサルティング SDGsデザインセンター長に就任。企業がSDGsにどのように取り組むべきかを示した行動指針「SDGコンパス」の5つのステップに沿って、サステナビリティ経営の推進を支援。パーパスの策定やマテリアリティ特定、価値創造ストーリーの策定から、統合報告書やサステナビリティサイト、ブランディング動画等の開示情報をつくるパートまで、一気通貫でアドバイザリーを行うことを強みとしている。2022年1月よりQUICK社とESGアドバイザリー・サービスの共同事業を開始。ESG評価を向上させるサービスにも注力している。

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