「人的資本」と「脱炭素」の戦略を考える③
多様性を前提にした人材育成の取り組みと“ありのまま”の開示を企業価値向上につなげる
人材戦略を会社の重要課題と位置づける伊藤忠テクノソリューションズ(CTC)で人事畑一筋を歩んできた人事総務室長の次藤智志氏が、人的資本への投資から開示に至る取り組みを解説する。
個々の多様性を重視し、人材育成と掛け合わせ、開示を社外だけでなく社内とのコミュニケーションツールとしても活用する施策のポイントが見えてきた。
2022年9月15日開催
「企業価値向上セミナー『人的資本』と『脱炭素』の戦略を考える」
特別講演 ②:「先進企業の人的資本情報開示に学ぶ ~人的資本経営による企業価値向上に向けて~」より
文=斉藤 俊明
写真=木村 輝
構成=古塚浩一、金縄洋右
多様な働き方の容認とキャリア形成支援を拡充
CTCはグループ連結で約9300人の社員を有し、その約7割がエンジニアだ。まさに技術者集団といえる人員構成であり、エンジニアの人材確保と育成は避けられないテーマである。そのため重要課題(マテリアリティ)としても「ITを通じた社会課題の解決」「責任ある企業活動の実行」とならぶ3本の柱として「明日を支える人材の創出」を掲げている。この3つ目のマテリアリティは、「多様なプロフェッショナルの育成」「互いを尊重し高めあえる風土の醸成」「未来を創る人材教育への貢献」の3点から構成される。次藤氏は次のように語る。
「社員個々人のやりたいこと、強み、働き方はますます多様化しています。会社としてはこの多様性を受容した上で、チャレンジングな役割を用意してそこにアサインする。その後しっかりと評価・フィードバックし、またさらなるチャレンジングな役割にアサインするというサイクルを回すことが重要と考えています。
そして、多様性の相互受容と人材育成を掛け合わせ、社員の個の解放と適所適材を実現し、会社と個人双方の成長を達成するのが、人材マネジメントの目指す姿です」
同社の人材戦略は、上記の考え方をベースとしながら「『技』の高度化」「飽くなき挑戦」「『個』と自律」「多彩な実力主義」の4象限で検討し、展開しているという。
次藤氏は直近の取り組み事例をいくつか紹介した。
伊藤忠テクノソリューションズ株式会社
人事総務室 室長 次藤 智志 氏
まずは「『技』の高度化」の観点で、2018年から全エンジニアを対象として定期的にスキルを見える化し、人材ポートフォリオを作成。現状の姿をしっかり把握した上で、個々人のアサインや育成計画に活用するとともに、経営戦略に即した将来的な人材確保や採用戦略にも活かす形で運用しているとのことだ。
2つ目の事例は「『個』と自律」に関わるもの。女性活躍推進施策として、2021年度からキャリア・スポンサーシップ・プログラムを導入した。
「当社にとってダイバーシティの一丁目一番地はやはり女性活躍。女性の管理職層や管理職層候補者をスポンシーとし、本部長クラスがスポンサーとなって座談会や1on1を通じてキャリア形成をサポートしていく取り組みです」と解説する。
そして3つ目は新しい働き方に関する事例。同社では2013年から働き方変革を推進しており、モバイルワークや始終業時間を繰り上げ繰り下げできるスライドワーク、時間単位で有給休暇が取得できる制度など新たな施策を2年ごとに打ち出してきた。2022年は働く場所と就業の選択肢を大きく拡大した。
単身赴任の解消、転勤なし異動などを導入している。加えて、社外副業制度、サバティカル休暇、ビジネスとレジャーを掛け合わせる「ブリージャー制度」もスタートした。
データを用いた人的資本戦略、情報開示は”リアル”がモットー
続いて次藤氏は、「人的資本への投資と企業価値向上の関係性がより一層注目される時代になっている」と説明した上で、CTCの考え方として人的資本の情報を開示することは「多様なステークホルダーとの質の高いコミュニケーションを実現するもので、投資家など社外への開示は極めて重要。それだけでは終わらせず、社内の重要ステークホルダーすなわち社員と定量的な人的資本データを基に対話し、課題をあぶり出すなど、社員とのコミュニケーションにも活用する」と説明する。
さらに、「人的資本データを単体で開示するのではなく、ビジネスモデルや経営戦略と絡め、リスクマネジメントの観点も盛り込みながら、統合的に開示したい」と語る。開示の姿勢は「リアルをありのままに伝える」をモットーに進めていくという。
では、具体的な人的資本に関する開示の取り組みとしてどのような施策を行っているのだろうか。
同社では2021年、統合レポートの別冊版として「人材戦略詳細編」を公開した。情報の取捨選択は重要との認識ではありながらも、それでも、統合レポートの本紙だけでは伝えたい人材戦略を伝えきれないジレンマを抱えていたのがきっかけという。2回目となる2022年版は8月に公開した。価値協創と人的資本の関係性を明らかにするために外部環境と人的資本のデータ分析を実施し、2022年度の開示方針を決定。人的資本が生み出す価値や主要な投資、比較可能性も踏まえながら自社の戦略を分かりやすく伝えるための開示内容の強弱や取捨選択をした。グローバル基準にそった非財務データの拡充、社員の声や第三者意見の追加など、定量と定性両面の改善を施し公開。「企業価値を高める人的資本への取り組み、人材戦略の報告についてPDCAを回しながらブラッシュアップを図っていきます」と意気込みを語る。
人的資本関連の今後の展開として、次藤氏は次の5点を挙げた。まずは新人事制度の導入。これについては2023年度に人事の処遇制度の大幅刷新を予定しているという。2点目はダイバーシティ・エクイティ&インクルージョン(DE&I)推進の継続、3点目は人材育成施策の一層の推進だ。そして、4点目はデータドリブン型人事の推進、5点目は人的資本ROIの管理手法確立に向けたチャレンジである。「人的資本の定義に始まり、定量データでの把握、開示の具体的な進め方まで、多くの企業が課題に感じているだろう」と印象を語っている。
CTCは2022年度から産学連携の研究会に参加。国内外の先進的研究・事例を把握し、現場の視点と学術的視点の融合を図っていく。同社単体ではたどり着けないソリューションや今後の施策を検討する上でのヒントが得られることも期待しているという。社員の人材能力情報のデータベース化も課題で、分散するデータの集約、人材情報の統合基盤整備、タレントマネジメントシステム導入等に向けた準備を進めているとのことだ。
最後に、人的資本に関する開示方針については「前述のように“リアルをありのままに”、真摯に伝えていく。当社が従業員と真摯に向き合っていることを理解していただく。この考え方に変更はありません」と次藤氏。
人材戦略が経営戦略を大きく左右する時代に突入しているという時代認識を再び示し、「人的資本への投資から開示に向けた流れに積極的に取り組むことが、企業価値向上に結びついていくと強く思っています」と語った。
連載:「人的資本」と「脱炭素」の戦略を考える
- 【1】人的資本経営の実現に求められる「実践」と「開示」 その取り組みの具体像とは
- 【2】企業価値向上に大きな影響を与える、人的資本投資のROIを計算する意義
- 【3】多様性を前提にした人材育成の取り組みと“ありのまま”の開示を企業価値向上につなげる
- 【4】脱炭素の取り組み開示でユニバーサルオーナーに企業価値を評価されるESG経営を目指す
- 【5】TCFDへの対応においてスコープ3算定が重要になる理由とは
伊藤忠テクノソリューションズ株式会社
人事総務グループ 人事総務室 室長
次藤 智志(じとう・さとし)
1991年4月建設会社入社。同社でも人事職を経験。2001年3月伊藤忠テクノソリューションズ(株)入社。
2010年CTCひなり(株)人事部長。2011年4月CTCテクノロジー(株)人事総務部長。2016年5月伊藤忠テクノソリューションズ(株)人事部長。2022年4月同社人事総務室長(現任)
※肩書は記事公開時点のものです。
サステナビリティ本部 本部長
古塚 浩一
2018年、日経BPコンサルティング SDGsデザインセンター長に就任。企業がSDGsにどのように取り組むべきかを示した行動指針「SDGコンパス」の5つのステップに沿って、サステナビリティ経営の推進を支援。パーパスの策定やマテリアリティ特定、価値創造ストーリーの策定から、統合報告書やサステナビリティサイト、ブランディング動画等の開示情報をつくるパートまで、一気通貫でアドバイザリーを行うことを強みとしている。2022年1月よりQUICK社とESGアドバイザリー・サービスの共同事業を開始。ESG評価を向上させるサービスにも注力している。