サステナビリティ・コミュニケーションのポイント2024①
形だけで終わらせない、人的資本開示
2024年5月17日開催 企業価値向上セミナー
「サステナビリティ・コミュニケーションのポイント2024」より
動画をご覧になりたい方はこちら 文=小林渡 構成=藤本淳也、太田未来
「企業は人なり」企業の価値は人的資本にある
講演冒頭、福原氏は「資本開示、あるいは人的資本開示と聞いて、どのようなことが考えられるでしょうか?」と問いを投げ掛けた。福原氏が共同座長を務める人的資本理論の実証化研究会は2022年に設立され、主に上場企業を会員に、企業の価値を高めるために人的資本を正しく捉え、最適化、活用することを目指して研究を続けている。
企業で開示を担当する社員にとって、近年その基準は目まぐるしく変わっている。特に人的資本は、上場企業にとって2023年3月期決算から有価証券報告書での開示が義務となった。一方、非上場企業であっても統合報告書などで人的資本の開示が求められているのは、いまや時代の流れである。ところが、人的資本についての周知が甘いまま先へ進めば“開示しないといけないから人的資本を開示する”という状況にもなりかねない。そこで“人的資本とは何か?”という根源的なところから理解を深め、当事者である企業の開示担当者と共に研究を行っているのが福原氏率いる研究会である。
「企業は人なり」といわれるが、言い換えれば企業の価値は人的資本にあるということになる。この人的資本をどうやって正しく捉え、最適化し、活用していくのか。これこそが企業価値を高める上で最も重要な礎といえる。研究会にはそれぞれの企業の人事、経営企画、IRなどを担当するメンバーが参加している。本年度のミッションは「人的資本への投資が企業価値をどれだけ押し上げているのかを理解し、その上でさらに企業価値を高めるにはどんな手を打つべきなのかを考えること」だと福原氏は語る。
社内の人的資本(能力)の正しい把握が企業価値向上へつながる
最近は人的資本をエンゲージメント(会社への愛着心や貢献度)と結び付けて理解している人もいるが、福原氏によれば両者は密接ではあるものの「人的資本とは人間の持つ能力のことで、あくまで能力があってのエンゲージメント」だと言う。
なぜ人的資本において、エンゲージメントが本質ではないのか。福原氏は1つの例え話で説明した。仮にエンゲージメントが100%の集団があったとする。通常であれば組織として高い価値を生み出すことが期待されるが、この集団が幼稚園や保育園だったらどうだろうか。当然のことながら、幼児たちの能力は企業の欲する能力に満たない。つまり、企業価値という観点で見た時、エンゲージメントが100%あったとしても価値を出すのが難しいということが起こってしまう。一方、プロフェッショナルが一定数そろっている集団であれば、必ずしもエンゲージメントが高くなくても企業価値に寄与する事例は枚挙にいとまがない。この点を踏まえると、人的資本の開示で大事なことは何かと言われれば「企業に在籍する社員、経営者一人ひとりの能力をしっかりデータ化し、把握しておくことです」と福原氏は指摘する。
企業価値向上のための開示には、まず社内の「人的資本=能力」を正しく把握しなくてはならない。この能力は、いわゆる英検やTOEIC、公認会計士資格、ITパスポートといったスキルだけは不十分だと福原氏は言う。「そのスキルをどう使いこなすのか。同じ資格でも今の新しいスキルを身に付けていなければ、そのスキルは無価値になってしまう」。今のITの中心はChatGPTに代表される生成AIだが、例えばそれらが出てくる前のITパスポートを持っていたとしても、今の情報を正しくアップデートしていなければ、そのスキルは陳腐化していて役に立たない。「スキルを常に手に入れ、そのスキルを活用する能力という2つが備わって初めて人的資本となる」と福原氏は続ける。
また、人的資本を正確に把握する上で避けて通れない問題がある。「昨今、1つのコンプライアンス違反によって企業が炎上してしまうケースが後を絶たない」と福原氏。ひとたび炎上すれば、せっかく築き上げた企業価値も一瞬にして吹き飛んでしまう。しかし、これらはパワハラやセクハラ、人権侵害などに対して、しっかりリスクを認識し、コンプライアンス研修を繰り返すなどすることでリスクは下げられるという。福原氏によれば、研究会に参加する30数社のデータを分析してみると、これらの研修を通して、社員一人ひとりに意識付けをしている企業では、コンプライアンスのリスクが非常に低いという定量的な結果が出ているそうだ。
ミクロとマクロ、従業員一人ひとりと会社全体
一人ひとりの人的資本(能力)を正確に把握することで、投資に対する企業価値向上の効果(人的資本の投資対効果/ROI)を測ることも可能と福原氏は言う。それによって経営に定量的インパクトを与えることが可能となる。例えば、5000万円の投資で2~3年かけて2億円の企業価値を生んだ企業があるとする。これに対して、「企業戦略上重要であるITを応用するため、創造力の高い人材100名に対して5000万円を投資。それによって2億円の価値が生まれた」と説明できるようになる、と福原氏は指摘する。
この時大事になってくるのが、ミクロとマクロ、両方の視点である。ミクロの視点とは、従業員一人ひとりの人的資本、つまり能力のデータを正確に把握し、受けるべき研修や配置を決めていくようなものの見方。一方のマクロの視点とは、会社全体を見通し、企業戦略に対して全従業員のうち必要な能力を持つ人が何%いて、彼らがどの部署にいるのかを把握するといったものの見方だ。「マクロの視点で自分たちの戦略の打ち手をどこにすべきか考えつつ、それをミクロの視点で従業員一人ずつに落とし込んだ時、それぞれをどう育てていくか考えていく。こういった人的資本の最適化で企業価値の向上へつなげていくことが重要になってきます」と福原氏。
経営戦略を基に人的資本に投資し、企業価値向上の経緯を開示
実際に研究会が関わった2つの企業の事例が紹介された。1つの企業では、人員的にほぼ同じような2つの部署で、なぜか片方だけうまくいかないケースがあり、これをとっかかりに影響を与えている因子を分析、特定。それらの結果を他の部署にも適応することでパフォーマンスが向上する可能性があると仮説を立て、施策を実行。1年後に効果を測定し、データで検証を行った上で、次のサイクルを回していく。もう1つの企業は、時代の変化に合わせて企業戦略を大きく変更した事例だ。これにより各職種において必要なスキルやマネジメントが全く変わるため、研究会では生成AIを使い、どの職種にどのスキルが必要なのか、戦略上必要なマネジメントについて計算。スキルマップによって提案し、研修の有無や配置換えの判断に組み込んでいるという。
2社ともにポイントとなるのが、経営戦略ありき、という点だ。「経営戦略に基づき、今必要とされる人員の能力や人数、いわゆる動的な人材ポートフォリオと呼ばれるものを組み直す。その上でスキルマップをつくって、今の人材がその基準をどれだけ満たしているのか能力測定を行い、実際にパフォーマンス向上につながったのかどうか分析する」というのが研究会の手法だと福原氏は語る。その結果、ROIが向上すれば、パーセンテージを開示すればよいとなる。「人的資本については開示で止めてしまってはもったいない。あくまで企業価値向上が目的であり、そのための戦略に基づいて人的資本(能力)を把握し、投資による結果も含めて開示していく。その一連のプロセスをぜひ皆様と共有できればと考えています」と福原氏は締めくくった。
連載:「サステナビリティ・コミュニケーションのポイント2024」
- 形だけで終わらせない、人的資本開示
- 自然資本に関する情報開示(TNFD, FLAG)
- 開示のための開示になっていませんか?――サステナビリティ情報開示の次のステップに向けて
人的資本理論の実証化研究会 共同座長
一橋大学大学院 経営管理研究科 特任教授
Institution for a Global Society株式会社 代表取締役会長 CEO
福原 正大 氏
現三菱UFJ銀行に入行、INSEAD(欧州経営大学院)にてMBA、グランゼコールHEC(パリ)にてMS(成績優秀者)、筑波大学博士(経営学)を取得。世界最大級の運用会社ブラックロック社で最年少マネージングディレクター、日本法人の取締役を経て、2010年IGS株式会社を創設。 2016年2月より、人工知能とビッグデータを活用して、人材の能力特性分析を行う「GROW」をサービス開始。慶應義塾大学経済学部特任教授、東京理科大学客員教授。
主な書籍に『日本企業のポテンシャルを解き放つDX×3P経営』(英治出版)、『人工知能×ビッグデータが「人事」を変える』(朝日新聞出版)など。
※肩書は記事公開時点のものです。
マーケティング本部 ビジネスアーキテクト部
藤本 淳也
インターナルコミュニケーションや教育、HR、音楽などの様々な領域で、企画編集/マーケティング/プロダクトマネジメントに従事し、2022年に現職。コンサルティングから課題設定、ストーリーメイキング、各種制作と、コミュニケーション支援を幅広く担当している。
※肩書きは記事公開時点のものです。