「人的資本」と「脱炭素」の戦略を考える④
脱炭素の取り組み開示でユニバーサル・オーナーに企業価値を評価されるESG経営を目指す
脱炭素社会における企業価値向上には何が必要なのか、どういった考えで臨み、どのように対応していけばいいのか、そのヒントを広瀬氏が詳しく解説する。
2022年9月15日開催
「企業価値向上セミナー『人的資本』と『脱炭素』の戦略を考える」
特別講演③:「脱炭素社会における企業価値 ~ユニバーサルオーナーの視点~」より
文=斉藤 俊明
写真=木村 輝
構成=古塚浩一、金縄洋右
ユニバーサル・オーナーと「Climate Action 100+」の存在
最初に広瀬氏は、「ユニバーサル・オーナー」とその投資行動が、ESG経営の軸を据える上で重要だと解説する。
「ユニバーサル・オーナー」の定義として、GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)が「2021年度ESG活動報告」で「投資額が大きく、世界の資本市場全体に幅広く分散して運用する投資家」と記していることを示し、「一言加えるなら、アセット・オーナーであるということ。つまり株式の実質的保有者であり、企業の大株主ということです」と説明。ユニバーサル・オーナーの代表としては、世界最大級のファンドとして知られる「ノルウェー政府年金基金」や、「米カリフォルニア州職員退職年金基金(カルパース)」といった公的年金、また巨大な保険会社を広瀬氏は挙げる。
こうした大投資家たちは、ESG投資に対してどのような考えを持っているのか。広瀬氏は、同じく前述のGPIF報告で「環境・社会問題などの負の外部性を最小化すること」と記され、ESGを考慮することは「次世代の受益者に対する受託者責任」だと指摘する。
そして、「その責任を果たすため長期にわたり安定した収益を獲得するには、資本市場全体が持続的・安定的に成長する必要があり、それを阻害する負の外部性を抑制する目的で積極的に行動することだとGPIFは考えています。これはSDGsの考え方にもつながっており、ユニバーサル・オーナーにとって合理的な投資手法といえます」と説明する。
株式会社QUICK ESG研究所 エグゼクティブ・アドバイザー
広瀬 悦哉 氏
ユニバーサル・オーナーが投資において企業活動のどこを見ているのか分かる例として、協同エンゲージメント(企業との対話)を通じて気候変動への対応を求める投資家イニシアティブ「Climate Action 100+」を広瀬氏は取り上げる。
「Climate Action 100+」は、世界700を超える機関投資家(資産総額68兆米ドル超)が参加し、エンゲージメント対象企業は世界で166社。国内ではGPIFをはじめとする23の機関投資家が参加しており、対象企業は10社だ。
企業の開示情報を評価する際は、温室効果ガス排出ネットゼロの野心的目標やスコープ1〜3のターゲット達成に向けた戦略、資本配分の整合性、気候政策へのエンゲージメント、TCFD開示など10の指標を用いる。
広瀬氏はここから見えるポイントを「企業の脱炭素化計画が短期・中期・長期のプロセスを踏んでいるか」「経営戦略とマッチし、ガバナンスが働いているか」「資本政策に反映されているか」の3つにまとめた。
重要性増すESG情報開示、未対応で投資対象除外リスクも
続いて、2022年の世界166社の評価結果も示し、「全評価指標が基準を満たしている企業はまだ半数に満たないことがわかります。中でも、資本配分の整合性への取り組みは95%の企業が基準を満たしていないとされ、最も遅れています。Climate Action 100+では、スコープ3排出を含めた削減目標はもとより、ネットゼロ目標に整合した資本支出・設備投資がまだまだ課題だと捉えています」と説明。
「これはつまり、各社の脱炭素化計画が単なる削減目標ではなく、財務や企業戦略に結び付ているかどうかが実効性に向けた課題で、ユニバーサル・オーナーはここを見ている」と話した。
ユニバーサル・オーナーは、脱炭素社会における企業価値を、経済的価値と社会的価値の双方で注視していると広瀬氏は指摘するが、経済的価値はともかく、この場合の社会的価値とは何なのか。
「サステナブルな脱炭素社会に貢献するインパクト、つまりネガティブインパクトの最小化とポジティブインパクトの最大化です。言い換えれば、GPIFがいう負の外部性の最小化です。そして、ESGがメインストリームとなり、過半数の投資家がESGを投資判断に考慮するようになると、株価は経済的価値と社会的価値の双方を反映します」と広瀬氏は解説する。
脱炭素への取り組みが、なぜ企業価値に結び付き、株価に反映されるようになるのか。広瀬氏は、サステナブルな未来のためのマテリアリティ(重要課題)と開示・報告の関係を、GRIやSASBなどESG情報開示基準設定主要5団体が示した3つの箱が重なった概念図を使って解説する。
最も内側にある箱は企業に義務付けられた財務情報の報告を意味し、これは企業価値において経済的価値に相当する。その外側の箱は、環境・社会の課題が企業価値に及ぼす影響に関する情報の報告であり、これをシングルマテリアリティと言うとする。
そして最も外側にある大きな箱が、シングルマテリアリティに加え、企業が環境・社会に及ぼす影響も開示するダブルマテリアリティであるとする。ユニバーサル・オーナーの考え方では、このダブルマテリアリティの部分が、経済的価値と社会的価値であり、そこを注視していることになる。
さらに広瀬氏は、ESG課題は時間をかけてまたは急速に財務のマテリアリティにもなるという「ダイナミックマテリアリティ」の考え方も説明している。
その意味で、気候変動や脱炭素、あるいは人的資本も含めたESG課題は、すでに財務のマテリアリティすなわち経済的価値に組み込まれ始めており、だからこそ開示が義務化される動きが進んでいると解説した。
こうした企業価値は、市場メカニズムに則って株価に顕在化していくと広瀬氏。
ESGの負の影響(リスク)と正の影響(機会)が企業価値に取り込まれず、開示されていないと、市場メカニズムで捉えられないので、株価には反映されない。一方でESGの取り組みを開示すると、企業価値に取り込まれるため、それを投資家が評価し、市場メカニズムに乗って株価に反映されることになる。
「現在のESG投資は、気候変動への対応を市場が評価し始めた状況で、換言すると市場のガバナンスが機能し始めた状況にあります。ですから、ESGの取り組みをしっかり開示しないと、株価が上がらないばかりか、市場のガバナンスが働き、投資対象から除外される可能性も出てきます」と広瀬氏は指摘する。
実際、グローバルではESG評価の高い銘柄の株価リターンが高くなる傾向が2012年ごろから、日本国内でも2017年ごろから現れていると、ESG評価会社の資料を示しながら解説した。ちなみに2017年は、GPIFのESG指数が運用開始された年だ。
最後に、企業に求められるアクションとして、気候変動課題をリスクと機会の両面から将来にわたって分析・評価し、それを企業の経営戦略にしっかり反映させること、つまり資本政策に組み込むことが大事になってくると広瀬氏。
その上で、経済的価値と社会的価値について、株主をはじめとするステークホルダーに継続して開示し、対話することの重要性を強調し、「この株主こそすなわちユニバーサル・オーナーといっていいでしょう。ですから、自社がユニバーサル・オーナーからどう評価されているかを知ることが大切です」と語った。
連載:「人的資本」と「脱炭素」の戦略を考える
- 【1】人的資本経営の実現に求められる「実践」と「開示」 その取り組みの具体像とは
- 【2】企業価値向上に大きな影響を与える、人的資本投資のROIを計算する意義
- 【3】多様性を前提にした人材育成の取り組みと“ありのまま”の開示を企業価値向上につなげる
- 【4】脱炭素の取り組み開示でユニバーサルオーナーに企業価値を評価されるESG経営を目指す
- 【5】TCFDへの対応においてスコープ3算定が重要になる理由とは
株式会社QUICK ESG研究所
エグゼクティブ・アドバイザー
広瀬 悦哉(ひろせ・えつや)
1984年に市況情報センター(現:株式会社QUICK ESG研究所)に入社。2011年営業本部長、2013年取締役、2014年にESG研究所を設立し所長に就任。同年GPIFより受託した「年金積立金管理運用独立行政法人におけるスチュワードシップ責任およびESG投資のあり方についての調査研究業務」における統括責任者を務める。現在は、機関投資家ならびに企業向けのESGアドバイザリーに従事
※肩書は記事公開時点のものです。
サステナビリティ本部 本部長
古塚 浩一
2018年、日経BPコンサルティング SDGsデザインセンター長に就任。企業がSDGsにどのように取り組むべきかを示した行動指針「SDGコンパス」の5つのステップに沿って、サステナビリティ経営の推進を支援。パーパスの策定やマテリアリティ特定、価値創造ストーリーの策定から、統合報告書やサステナビリティサイト、ブランディング動画等の開示情報をつくるパートまで、一気通貫でアドバイザリーを行うことを強みとしている。2022年1月よりQUICK社とESGアドバイザリー・サービスの共同事業を開始。ESG評価を向上させるサービスにも注力している。