統合報告書やSDGs社内浸透の新潮流
「パーパス起点の価値創造ストーリー」の描き方
なぜ今「価値創造ストーリー」なのか?
「価値創造ストーリー」とは、「今後の事業機会や、将来さらされるリスクへの認識や対応を踏まえ、投資家をはじめとするステークホルダーに対して自社の持続的成長を説得するためのロジック(ストーリー)」を指します。近年、統合報告書を発行する企業や長期視点の投資家などがこの言葉をよく使うようになりました。まずはなぜ今、価値創造ストーリーが注目を集めているかという点について考えてみましょう。
1)組織の持続可能性を端的に示す一枚絵
組織の価値創造の仕組み(価値創造プロセス)についての議論は2011年頃、当時の国際統合報告評議会(IIRC)が統合報告に関するディスカッションペーパーを公表した頃から本格化したように思います。ここで、統合報告書に深く関わる方々にとってはおなじみの「オクトパスモデル」(資本を結ぶ線がタコ足に見えることからこのように呼ばれています)の原型が登場しました。ここで示された価値創造プロセスには、過去・現在・未来の組織の業績に深くかかわる財務・非財務の「資本」が、組織の中でどのように利用され、事業活動を通じてこれらの「資本」にどのような影響を与えているのかといった点を明らかにし、組織が価値を創造する仕組みを「見える化」することへの、IIRCの思いが込められています。この思いは、2021年1月に改訂された国際統合報告フレームワークにおいても受け継がれています。
[価値創造プロセス(価値が創出・保全・棄損されるプロセス)]
出典: IIRC「国際統合報告フレームワーク(改訂版)」
統合報告書の発行は2013年頃から徐々に増え始めましたが、この頃から多くの企業は、この統合報告書の中で、このオクトパスモデル図に自社のビジネスをあてはめ、一枚絵を示すようになりました。その後は統合報告書の進化とともに、自社ならではの価値創造プロセスを分かりやすく示そうと、ひな型の枠を越えて独自路線を歩みだす企業も、次第に増えていったように思います。
2)「価値創造プロセス図」で伝わること、伝わらないこと
統合報告書の発行企業が増え、同時に長期的な投資スタンスの投資家が増えてくると、経営のサステナビリティ(持続可能性)に対する、より説得力のある答えが企業に対して求められるようになりました。
ただ、黎明期の統合報告書で描かれるオクトパスモデル図については、トップメッセージ、成長戦略、持続的成長の基盤といった統合報告書の主要パートではあまり触れられず、また図の中に明確な時間軸が示されないこともあり、多くの場合「絵に描いた餅」のような存在だったように思います。つまり、当時の価値創造プロセス図の多くは「企業がどこに向かおうとしているのか?」「そのために、今はどのようなビジネスを展開し、これからそのビジネスを、どのような時間軸でどう進化させようとしているのか?」という点について、説得力のある形で示していなかったように思います。
もちろん、「オクトパスモデル図」を描くことにも大きな意味があります。自社の価値創造を財務、非財務の双方の視点をもって整理することができるからです。ただ、それぞれの要素を見栄えよく並べて示すだけでは、企業独自の考え方や持続的成長に向けた取り組みは適切に伝わりません。なぜなら、そこには多くの人々が腹落ちするようなロジック(ストーリー)が含まれていないからです。
そこで登場するのがこの「価値創造ストーリー」です。
企業が価値創造ストーリーを描く目的は、冒頭にも示した通り「自社の経営が持続可能であることの説得」に他なりません。だからこそ長期的な投資スタンスを持つ投資家がこれに着目するのです。
また「ストーリー」というからには、そこには「風が吹けば桶屋が儲かる」的な腹落ち感が必要となります。さらに、プロの長期投資家をもうならせるようなストーリーを描こうとするならば、そのテーマは、現在から将来に向けて企業がステークホルダーにどのように価値を提供し、キャッシュフローを増大させるのか、すなわち「企業価値の向上」ということになります。
ストーリーの描き方は百社百様でよいと思いますが、ここでは多くの人が腹落ちする王道のストーリーの描き方をご紹介します。
情報の整理から始める価値創造ストーリーづくり
価値創造ストーリーを描くには、何から始めればよいのでしょうか?次に、この点について考えてみましょう。
まずは、ストーリーを描くために必要な材料(情報)を集め、整理することから始めます。これらの材料は、既に身近にあって文章化されているものもあれば、各部門だけが認識していて全社的に共有されていないもの、暗黙知として明文化されていないもの、さらには、社内では当たり前過ぎてあえて語られないようなものもあります。それらを集めて、まずは一旦全てをテーブルの上に広げ、遠目に眺めてみるような作業が必要です。
そのうえで、「自社の存在意義」「過去の歴史」「現在のビジネス」「成長戦略」「自社の持続可能性(経営のサステナビリティ)」を、一つのロジカルなストーリーに組み込んでいくことになります。
ストーリーづくりはラフスケッチ、つまり、まずはフリーハンドで大きな絵を描いてみることから始めます。そして試行錯誤の末、最後にはその絵を見栄えよくデザインしてみることも重要です。貴社の価値を深く理解する優秀なデザイナーの力を借り、デザイン志向で一枚絵を完成させることで見えてくるもの、モヤモヤしていたものが確信に変わることもあるように思います。
1)あらためて、自社の「存在意義」を考える
近年、「自社が何のために存在するのか?」という「パーパス(企業としての存在意義)」の議論が広く行われるようになりました。
「経済的利益の追求」を最大の目的として成長を続けてきた企業が、サステナブルな経営を見据え、社会・環境などステークホルダーにとっての利益にも配慮したESG(環境、社会、ガバナンス)経営やSDGs経営を標榜するようになりました。そうした企業に対しては、「ではなぜ、ESG経営、SDGs経営に取り組まなければいけないのか?」といった、さらなる高次元の問いかけがなされ始めています。その一つの答えがこのパーパスです。パーパスの設定は、自社のESG経営やSDGs経営を社内外に説明するうえで極めて有効な手段となり得るのです。
例えば、製薬会社が途上国などで高価な薬に手が届かない人々のために安価で薬を提供するような行為は、これまではその多くが単なる「社会貢献」として捉えられていたと思いますが、「一人でも多くの患者を救う」というパーパスを持つ企業であれば、その行為を企業活動の主役として説明することができます。さらにその行為によって途上国などで健康寿命が延び、それによって経済や社会に貢献することが説得できれば、長期視点の投資家にも響く立派なストーリーとなります。
このように、長期視点からの資金回収という考え方も取り入れながら、これまでの歴史や現在のビジネスを俯瞰し、また未来の社会を見据えて「自社が何のために存在しているのか?」を、あらためて見つめ直します。
特に今はコロナ禍も含め、事業環境が激変する時代です。技術の進化や社会全体の価値観が変わり、それらを踏まえて事業ポートフォリオを見直したり、ビジネスモデル自体を変える必要性が生じたりする場合に、パーパスはその際の経営判断のよりどころにもなり得ます。
経営や事業活動のよりどころとして企業理念を明示している企業も多いと思いますが、企業理念自体が社会的な存在意義を示しているのであればそれをパーパスと捉えればよく、企業理念を明確に定めていない企業であれば、これまでの事業活動、未来を見据えて進化するこれからの事業活動を俯瞰し、経営を巻き込んで自社のパーパスを「後付けで」描いてみてもよいでしょう。
パーパスは、言い換えれば企業としてのアイデンティティーです。このアイデンティティーを自社の「価値創造ストーリー」の起点に置くと、社外の目で見ても、そして従業員の目から見ても腹落ちするストーリーが描きやすくなるというわけです。
2)「パーパス起点」で歴史を再整理する
歴史のある企業の多くは「〇〇周年誌」の中で、また自社のコーポレートサイトの定番コンテンツとして、事業拡大の歴史が年表形式で網羅的に記されていると思いますが、「パーパス起点」で捉え直すと、あらためて見えてくるものがあるかもしれません。パーパスに照らして、こうした過去の事業活動や経営判断が、読者が腹落ちする形で説明できることと、説明しにくいことを分類してみましょう。
3)「パーパス起点」で現在のビジネスを俯瞰する
次に、現在のビジネスモデルが「パーパスを実現するための仕組み」として成り立っていることを説得する必要があります。具体的には、自社のパーパス実現のために、どのような経営資源を使い、どのような競争優位(強み)を発揮し、どのビジネスが、どのような価値を生み出しているのか?という「ビジネスモデル」を、論理的に説得することが必要です。
重要な経営資源
現在のビジネスにとって、なくてはならない重要な経営資源は何か?それらを維持・充実させていくために、どのような工夫を凝らしているのか?これらについて整理をして説明することが、投資家にとってその企業の事業リスク、事業機会を知るうえで極めて重要な情報となります。
ここでいう経営資源はおカネ以外の資源を含みます。これは既にご紹介したIIRCの「国際統合報告フレームワーク」が示す「6つの資本」(オクトパスモデル図の「タコ足」の部分)の考え方とつながります。資本といえば、通常は会計上の資本を指しますが、このフレームワークでは「財務資本」以外にも5つの「非財務の資本(人的資本、知的資本、製造資本、社会関係資本、自然資本)」を定義付けています。「非財務の資本」をどう捉え、どう活用し、どう充実させていくかは、企業としてのパフォーマンスを大きく左右することにもなるため、ストーリーを描く前にあらかじめ情報を整理しておく必要があります。
競争優位性
「社内に優秀な人材が多く存在する」とか「ヒット商品がたくさんある」「投資先や投資資金が豊富にある」といったことも、ある意味では競争優位性(強み)なのですが、ここで伝えるべき競争優位性は、ビジネスモデルの本質(価値創造の原動力となるもの)は何か?ということであり、上述の重要な経営資源をどう掛け合わせて他社に勝る価値に変えているのか?その仕組みは何なのか?ということです。それはひょっとすると、社長のアタマの中だけにある経営哲学をどうやって「見える化」するか?ということなのかもしれません。優秀な人材を育てる「仕組み」、従業員のモチベーションを維持してパフォーマンスを高める「仕組み」、ヒット商品を連打する「仕組み」、戦略投資の回収可能性を高める「仕組み」は何か?といった点について、あらためて整理をしてみることが肝要です。
どのビジネスが、どのような価値を生み出しているのか?
これはつまり、自社の競争優位性を事業にどのように生かしているのか?ということの説明を指します。例えば、現在のビジネスのラインナップが提供する価値に目を向けてみましょう。現在のビジネスは恐らく「稼げているビジネス(競争優位なビジネス)」と「稼げていないビジネス(競争優位にないビジネス)」に分類できると思います。また同時に「パーパスとのつながりが説明できるビジネス(社会課題の解決に結びつけて説明できるビジネス)」と「そうした説明が難しいビジネス」にも分類できると思います。
この2軸で整理してみたときに、価値創造ストーリーを描くうえで最も悩ましいのが「稼げているのにパーパスとのつながりが説明しにくいビジネス」です。このカテゴリーのビジネスを「本筋のビジネス(パーパスとのつながりが説明できるビジネス)を拡大させるために必要なキャッシュを安定的に生み出すためのビジネス」として説明する、あるいは「今後、パーパスにかなうビジネスに進化させていくビジネス」として説明するなど、これらのビジネスをどう正当化するか(どう説明するか)について、社内で議論をしておく必要があります。
その次に悩ましいのが「今は稼げていないが、パーパスにかなうビジネス」です。これについても、パーパスに照らしたビジネスとしての正当性や、中長期的な資金回収の可能性を、とりわけ長期視点の投資家が納得するレベル感で丁寧に説明できるようにしておくことが重要です。
4)パーパス実現に向けた成長戦略
多くの企業には単年度の経営計画、中期経営計画があると思います。最近ではESGへの対応やSDGsへの貢献を経営計画に組み込んだり、ありたい姿や長期ビジョンを描き、そこにたどり着くまでの道筋を示したりする企業も見られるようになりました。
パーパス起点の価値創造ストーリーを描くうえで説明すべき成長戦略の時間軸は、パーパスの実現に至るまでの期間、つまり「長期」です。現実的には、既に経営が定めた単年度経営計画や中期経営計画とも整合させていく必要はあるのですが、一旦ゼロベースで、過去から現在に至るビジネスの進化、現在のビジネス、積み上がっている現状の課題を踏まえ、その延長線上に描く長期の成長の道筋がどうあるべきか、現在のビジネスモデルをどう進化させていくべきかを、経営者を巻き込んで議論をしておく必要があります。
ここで悩ましいのが「未来社会をどう見据えるか」という点です。未来社会を見据えて自社の「ありたい姿」を描き、そこから遡って、これからすべきこと、今着手すべきことを浮き彫りにする「バックキャスティング」の考え方は、SDGsの考え方にも通じるところであり、多くの行政機関やさまざまな研究機関が、それぞれの思い描く「未来社会の姿」を発信しています。価値創造ストーリーを描くうえでの整理のポイントは、これらの膨大かつ多様な情報の中から、自社にとって重要な「リスク」となる要素は何か、また重要な「事業機会」につながる要素は何かを見つけること、すなわち自社のビジネスの視点から未来を見据えることだと思います。
5)自社の持続可能性(サステナビリティ経営の実践)
長期の成長戦略までを描くことができたら、次に説得すべきは、その筋書きが途中で頓挫することなく、確実に実行されていくことです。つまり、どんな山道でも、道を阻む大きな石やぬかるみの存在を事前に察知し、正しい判断力と実行力をもってそれらを回避しながら進む仕組みが備わっていることの説得です。
ここで重要なのは「ブレーキ」と「アクセル」を絶妙なタイミングで踏みかえる能力です。例えばパッシブ思考(市場平均並みの運用パフォーマンスを目指す)の長期投資家を強く意識するのであれば、自社がESGの視点を取り入れて、さまざまなステークホルダーの声に耳を傾け、ESGリスクの低減に向けた合理的な経営判断がなされる仕組みをつくり上げていくこと、いわば「適切にブレーキを踏む仕組み」を中心に説得すればよいのかもしれませんが、「成長や競争力の強化を前提とした魅力的な価値創造ストーリー」を描きたいのであれば、それだけでは不十分です。自社ならではの価値創造の本質(つまり自社の勝ちパターン)を深く理解する取締役会や経営者が、リスクと機会を的確に捉えてブレーキとアクセルを絶妙なタイミングで踏みかえていることの説得が、そのストーリーを描くうえでは必要となります。
価値創造ストーリーを「絵に描いた餅」にしないために
価値創造ストーリーを描くうえで最も大切なことは、そこに経営者の思いが込められていることです。そのうえで、統合報告書やコーポレートサイトのトップメッセージでは、自社の価値創造ストーリーへの思いを経営者自身の言葉で雄弁に語ってほしいと思います。
その次の段階では、せっかく描いたストーリーを「絵に描いた餅」で終わらせないために、価値創造ストーリーを実践していくための打ち手の議論、つまり経営者が優先すべき重要課題(経営のマテリアリティ)の議論が必要となります。その議論の前提として、まずは全ての経営陣、経営幹部が自社の価値創造ストーリーを深く理解し、共感することが必要です。
その次に必要なことは従業員への浸透です。全ての従業員がパーパス起点の価値創造ストーリーを理解し、それが事業の現場で日々直面する価値判断のよりどころとなれば、企業としてのパフォーマンスは格段に高まっていくと思われます。事業の現場でストーリーを根付かせるためには、KGI、KPIの設定も必要となります。経営計画を刷新するタイミングで、こうした運営指標を適宜組み込み、PDCAを回していくことが重要です。
「万人が腹落ちする価値創造ストーリー」を描くことができていれば、そのストーリーを今後のコーポレート・ブランディングの主軸に据えてブランド戦略を展開することもできるでしょう。
最後に、価値創造ストーリーは一度描いてしまえば終わりということでもありません。経営環境、事業環境の変化を踏まえ、ステークホルダーとの対話を繰り返しながら、自社のパーパスを見直していくことも含めてリデザインを繰り返し、企業全体のパフォーマンスの向上を目指して常にブラッシュアップを重ねていくことが大切です。
「パーパス起点の価値創造ストーリー」 貴社ではどう描きますか?
サステナビリティ本部 提携シニアコンサルタント
山内 由紀夫(やまうち・ゆきお)
都内信用金庫のシステム部門、証券運用部門、経営企画部門を経て、IR支援会社において企業分析、アニュアルレポート・統合報告書・CSRレポートの企画・編集コンサルティングに携わる。
日経BPコンサルティングでは、統合報告書の企画・コンサルティング、企業価値の持続的向上に向けた価値創造ストーリーの構築を支援。