ここにきて、企業とアートとの関わりが、急速に変化し始めてきました。これまで企業がアートに関わる場合、メセナ事業のように文化に関する社会貢献活動の一環としての投資という側面が強く、本業とは切り離した動きがほとんどでした。一方、近年の企業のアートへの投資は、本業の価値向上にアートの力を活かそうという取り組みが増えてきたのです。
アートがもたらすさまざまな効果
分かりやすい例が、ファッションのインターネット通販サイト「ZOZO TOWN」を運営するスタートトゥディの事例ではないでしょうか。同社社長の前澤友作氏が2017年、ニューヨークのオークションでジャン=ミシェル・バスキアの作品を123億円で購入したことが話題になりました。経営トップがアートコレクターであるという知名度や話題性を、企業のブランド力向上に活かしているわけですが、当然アートの効果はそこだけに限った話ではありません。
同社では執務室や会議室・ミーティングスペースなど、社内の至るところに、アンディー・ウォーホールやジュリアン・オピー、宮島達男といった有名作家の作品を展示しています。社員がアートに常に触れる環境を作ることで社員の創造性を刺激し、新しいアイデアを出しやすい環境を作るという狙いです。
企業がアートの「名所」して話題になることで、自然と人が集まるオフィス環境を作れるという効果も期待できます。クリエーティブに関心の強い人材を採用しやすくなるのはもちろん、社員が得意先にわざわざ出向かずとも、得意先が向こうからわざわざ来てくれるようになるような場づくりが行えます。話題のオフィスを一度訪ねてみたい、刺激的な環境で打ち合わせをしたほうが、議論が活発になるのではないかなどの期待を生み出します。
結果的に、アートへの投資で社員の無駄な移動時間が減れば、同社のように時短就労を進めている会社にとっては大きなメリットです。デザイン事務所では、打ち合わせスペースのデザインに力を入れて、自らのデザイン力のアピールしつつデザイナーの移動時間を減らして創作時間にあてる試みが多くなされていますが、アートを活用することで、一般の企業でも同じような作業効率の向上をもたらしてくれるのです。
アートが人を集める
アートが持つ「人を集める力」を活用している企業は、同社だけではありません。2017年4月にオープンし、開業1年の目標とした来場者数2000万人、売上高600億円を達成したGINZA SIXでは、集客の大きなツールとしてアートを活用しています。店舗の要所に最新のデジタルアートから人気作家のアート作品をちりばめ、それが銀座の新しい名所となっています。
開業初年は、階段を囲んだ吹き抜けに草間彌生氏のアート作品を設置し、立ち止まってはここで写真を撮影する観光客が後を絶ちませんでした(写真1)。いわゆる「インスタ映え」を狙った試みです。展示作品は、定期的に更新を行い、来客者を飽きさせない工夫を行っています。ちなみに現在はフランス人アーティストであるダニエル・ビュレン(Daniel Buren)氏の新作を展示しています。
エスカレーターに囲まれた吹き抜けには草間彌生氏の作品が展示された。
日本の法人として初めて、芸術や文化の発展に向けた支援活動をしているパトロンに授与される、フランスの「モンブラン国際文化賞」を受賞した寺田倉庫も注目企業です。同社は、かつて倉庫空間だった東京・天王洲を改装し、建築模型の保存と展示に特化したスペースや、東京のアートの集積地にすることを目的としたアートギャラリーを誘致運営したり、この場所でアートイベントを展開したりしています。
加えて世界中の画材を取り揃えた店舗や、アート作品の運送・展示・保管・修復をワンストップサービスで提供するなど、天王洲エリアをアートの中心地として発展させました。結果的に、同地域の坪単価を7年で数倍に引き上げることに成功したのです。
アートを活用して人の流れを作り出し、その土地の価値を大きく高めた元祖といえば、ベネッセホールディングスと福武財団が運営している「ベネッセアートサイト直島」でしょう。安藤忠雄氏が、クロード・モネなどの展示作品と一体となる独自の設計をした地中美術館を中心に、島全体がアート作品というコンセプト。現在はこの島を中心に、3年に1度「瀬戸内芸術祭」が開かれ、期間中は100万人がこの地域を訪れるといいます。
2005年の日経デザイン誌に掲載された福武総一郎氏のコメントによれば、バブル期真っ最中の1987年に70万坪を8億円弱で買った直島の土地は、バブル崩壊後の2005年にはその価格が5倍から6倍に跳ね上がったそうです。直島が世界的な観光地として、さらに集客力を高めた今は、その価値はさらに高まっている可能性が十分にあります。
世界市場をつかむためのアート
いずれの場合も、そこでしか体験できない武器を持つことで、場の吸引力を高めて価値を生み出す仕組みをアートに求めているケースばかりです。
最近の新たな動きとして注目したいのが、企業が自社の技術や人的リソースを活用して自らがアートを生み出そうと言う動きです。
例えばマツダ。同社は今、デザインを武器に強力なブランドを作りつつありますが、そのきっかけを作ったのがアート市場での「力試し」だったことは、実は知られていません。「魂動」と呼ばれる同社の自動車のデザインスタイルや考え方を反映した自転車やソファ、伝統工芸師と作り上げた器などを製作。これらを毎年4月に行われる「ミラノデザインウィーク」に出展すると、何千万円でもこの自転車を買いたい、というコレクターが現れたそうです。こうしたストーリーが、同社のデザイナーの自信につながったのは言うまでもありません。目が肥えて、美の価値がシビアに計算されるアート市場での力試しが、自分たちの方向性を確認するために重要だったのです。
このような、企業が自社の抱える技術やリソースを生かしてアート活動を行う動きを、国が支援する動きもあります。2018年4月にデザイン事務所のnendoが、ダイキン工業やYKK、帝人、日本のものづくりに関わるさまざまな企業と連携して、各企業が独自に持つ技術を生かして、アート作品を生み出して、ミラノデザインウィークで展示するという試みが行われました(写真2、3、4)。そして文化庁はこの試みを「産業アート」と定義して、その活動の支援を行ったのです。
通常、デザイナーとものづくり企業が連携して生まれるものは、家具や雑貨のような「商品」です。一般の流通に乗り、誰もが手に入れられるものを作るのが当たり前でしたが、今回nendoが産み出した作品の多くは一品ものの「作品」でした。これら展示作品は、アートコレクターからの問い合わせも多く、アートディーラーを経由してすでに販売が決まったものもあるとか。基本は一品モノか、複数個販売されるとしても「エディション」として限定数を販売する、といった手法を取るのが特徴です。
あくまでアートとして製作するので、実際に販売する商品のような利便性やコストなどを強く意識しなくて済むので、作品のコンセプトを犠牲にしなくて良いのがこうした作品の利点です。結果的にそのコンセプトの強さが、作品を埋もれずさまざまなメディアに取り上げられることにもつながります。
nendoのこの展示会は世界中の300近いメディアに取り上げられ、その広告効果は全体で数億円にもなりました。アートとしての認知度が上がれば、ブランドとして尊敬を受け、これまでアプローチできなかったような海外の高級ブランドとのつながりができるようになるなど、これまでとは「違う世界ができる」のも魅力です。
これまで企業活動で優先されたのは、売上や利益といった数値や、性能を分かりやすく説明するスペックのような「数値に置き換えられる」価値でした。しかし世界のビジネスを見るとは、数値で測れる指標ばかりでビジネスは成り立たない分野も数多くあります。アートやデザインなどを上手に活用しながら、人々の感性に訴えられる価値をいかにして作り上げるかが、今の経営者に求められているのです。
日経BP総研 マーケティング戦略ラボ
丸尾 弘志