企業研究「餅は餅屋」だけじゃない。ビールも味噌も醤油も餅屋
創業443年「伊勢角」の変わり続ける経営
- 文=佐藤恵司郎
- 2018年11月26日
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「ウォシュレット」「宅急便」「セロテープ」「正露丸」。これらの製品やサービス名から、社名は思い浮かぶだろうか。ウォシュレットは1917年創立のTOTOが販売する温水洗浄便座、宅急便は1919年創立のヤマト運輸が提供する宅配便サービスだ。セロテープは1934年設立のニチバンが販売するセロハンテープで、「正露丸」は1946年設立の大幸薬品が販売する胃腸薬である。老舗企業の中には、社名よりもはるかに有名な製品・サービス名を持つ企業が多く存在する。「伊勢角(イセカド)」もまた、ある老舗企業が手がけるブランドの1つだ。
その企業は三重県伊勢市にある。社名は「二軒茶屋餅角屋本店」という。もともと餅屋として始まったからこの社名ではあるが、聞き覚えがないかもしれない。同社は「伊勢角屋麦酒」というビールのブランドを手掛ける。世界に名だたるビールの審査会で多数の受賞をしている。ビールブランドも会社も親しみを込めて“伊勢角”と呼ばれ、変革し続ける老舗企業としても注目される。
伊勢角の始まりは安土桃山時代の1575(天正3)年、伊勢に来る旅人を迎える茶店・角屋だ。近くには湊屋という茶店もあったことから、そのあたりの土地はいつしか「二軒茶屋」と呼ばれるようになった。
有限会社二軒茶屋餅角屋本店
代表取締役社長
醗酵コンサルタント
酵母ハンター 博士(学術)
鈴木成宗氏
こしあんの入ったきな粉餅の製造・販売を続ける一方で、江戸時代には造り酒屋や旅館も営んでいる。現社長で21代目の鈴木成宗(なりひろ)社長の曽祖父も、さまざまな事業に挑んだ。砂糖の貿易は撤退して今に残っていないが、酒問屋はのれん分けして現在も「角屋商店」として存続する。今も残る事業は、味噌・醤油。参入する際、桶などの製造器具はすべて、廃業する蔵から中古で安く手配したという。
「味噌・醤油事業への取り組みは、せっけんの製造事業とどちらにするか検討した上で決めたそうです。曽祖父はさまざまな事業に取り組みましたが、決して損をしないビジネスセンスの高い人でした」(鈴木社長)
大都市部ではなく、経済環境の変化が比較的穏やかな土地だった。伊勢神宮の近くで参拝客がいて、不況に強かった。失敗しそうなときは早々に撤退したり、のれん分けしたりして変化に対応した。これらが企業として続いてきた理由の1つだという。
「踏み込みすぎた」からビール事業はやめられなかった
伊勢角を有限会社二軒茶屋餅角屋本店として法人化したのは1994年6月だ。そのとき鈴木社長は専務取締役に、父親が代表取締役社長になった。同年9月、時の細川護熙政権が緊急経済対策を発表。94項目の規制緩和の1つには、酒税法改正も含まれていた。ビールの年間最低醸造量を、2000キロリットルから60キロリットルへ引き下げるというものだ。いわゆる「地ビール解禁」である。「餅屋の仕事に飽き飽きしていた」という29歳の成宗専務(当時)には、これが挑戦すべき新事業に映った。ビールは酵母の発酵によってつくられる。大学で微生物の研究をしていたことも、事業化に踏み切る後押しとなった。
こうして準備を進め1997年4月に、ビール醸造所とその上の階に設けたレストランを開業した。開店当初は長蛇の列ができたものの、秋にはすでに客足が落ち込んでしまう。全国を見ても、地ビール解禁元年の1994年に6軒、95年に18軒、96年に79軒、そして97年に106軒のビール醸造所が開業したものの、開業数は徐々に落ち、地ビールブームは急速に沈下。伊勢角もその大きな流れにあらがえなかった。
「ウチの歴史上のほかの事業と同じように、やめたり手放したりしなかったのは大きな投資をしてしまったからです」と鈴木社長。打った手は、「世界一のビールをつくる。5年以内に世界大会で優勝する」という社内での宣言だった。品質向上に努めた結果、開業から6年たった2003年に、毎年開催する国際的なビール審査会として世界最大規模のオーストラリアンインターナショナルビアアワードで、日本企業初の金賞を獲得した。
しかし受賞しても、すぐに売り上げは伸びなかった。そこでマネジメントやマーケティングのフレームワークを手当たり次第に勉強して実践したところ、2004年からやっと業績が上がりはじめた。品質はもちろん大切だが、それだけでは経営は成り立たないと鈴木社長は学んだ。
博士号取得、東京店開業、新工場開設
その後の伊勢角の躍進は目覚ましい。鈴木社長は地元の三重大学で、樹木から採取する酵母の研究をして2015年に博士号を取得。その研究成果を生かし、他社ではまねしづらい銘柄を開発した。16年には世界最大の規模を誇る、最高峰のビール審査会・ワールドビアカップ(米国)で銅賞を、17年には英国のビール審査会・インターナショナルブルーイングアワードで金賞を獲得し、海外のビール業界でも知られる存在となった。
2018年8月には、念願の東京に「伊勢角屋麦酒八重洲店」をオープンした。2年ほど前から、ベルギービール店や学習塾、美容などを手掛けるアクアプランネットに一緒にやろうと誘われていたのだ。本社が同じく三重県の松阪市にあるつながりだった。同店では、ビールは伊勢角が提供し、店舗運営はアクアプランネットが行っている。
2018年のもう1つの大きな動きは、9月からビールの新工場の稼働させたことだ。以前は1回の仕込み量が1000リットルで、1日に2回転させるのが限界だった。新工場では1回の仕込み量が4000リットル、1日に4回転できる。単純計算で、生産能力が8倍になったわけだ。ビール事業はすでに、餅や味噌・醤油事業よりも大きくなり、社の中核を担っている。
「新工場ができても、旧工場は廃止しません。小回りがきくので、実験的、挑戦的な銘柄をつくるつもりです。また新工場はかなりの工程が自動化され、その制御はパソコン上で行います。一方、旧工場はほとんどが手作業です。五感を使った作業を残す意味もありました」(鈴木社長)
鈴木社長に改めて、苦境に立ったビジネスを軌道に乗せる秘訣を聞いた。
「世間でクラフトビールの風が吹き始めたのは、2012~13年にかけて。1997年にビール事業を始めてから、そこまでは苦しい経営状況でした。世界に飛翔できる品質を追求し世界タイトルを獲得しても、改善すべき点が見つかればためらいなく実行しました。そうやってなんとか人気の風が吹くまで持ちこたえられたのが大きいですね」。手前味噌ですけれど、という言葉とともに鈴木社長は謙遜しながら答えた。
- 2018年11月26日
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