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企業研究“峻別と集中”、再上場、そして次なる成長

西武グループ再生の核心

  • 文=松崎祥悟
  • 2017年12月08日
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西武グループ再生の核心

社会からの企業に対する信頼を築き上げるには「年」単位での取り組みが必要だが、それが不祥事により一気に失墜してしまうのは、データ改ざんなどのニュースを見ても明らかだ。一度失った信頼を回復するのは並大抵ではない。
西武ホールディングスを中核とする西武グループは、不祥事から再建を果たすことに成功した一例である。2004年西武鉄道の上場廃止時には社会から批判の目にさらされていたが、そこから西武ホールディングスとして再上場を達成するまでに信頼を回復。西武ホールディングスが乗り越えてきた再生への道のりは、多くの企業にとっても示唆に富む。2017年開催されたセミナー「周年事業が会社を変える! 先駆者に学ぶ100年企業への道」(日経BP社、日経BPコンサルティング主催)において、後藤高志代表取締役社長が自ら実施した改革について語っている。

西武グループ再建を四の五のいわず引き受ける

西武ホールディングス 代表取締役社長 後藤高志氏
西武ホールディングス
代表取締役社長
後藤高志氏

西武グループは、「生活応援企業グループ」を標榜している。グループスローガンに「でかける人を、ほほえむ人へ。」を掲げ、スマイルをキーワードにさまざまなプロジェクトを展開する。このように顧客志向を打ち出す西武グループだが、10年ほど前には世間を騒がすような不祥事を起こし、企業存続の危機に立たされていた。

総会屋に対する利益供与事件や有価証券報告書の虚偽記載、さらにはインサイダー取引等々の法令違反を重ねる事件を起こした。金融機関、マスコミや取引先をはじめ、世の中の目が非常に厳しくなったと、後藤社長は当時を振り返る。社会からは批判や離反、西武グループへの不安が強まった。その余波は、当時の経営者・堤義明氏が西武グループの全役職を離任するまでに至った。

2004年12月17日には、当時東証一部上場企業だった西武鉄道が上場廃止となる。そのような逆風のなか、西武グループの舵取りを任されたのが、当時みずほコーポレート銀行(現・みずほ銀行)の副頭取で、西武グループを担当、また西武グループの経営改革委員会のメンバーにも任命されていた後藤氏だった。

後藤氏は東京大学のラグビー部に所属していた。
「ストレートダッシュ、そしてロータックル。これが所属していたチームのスタイルだった。厳しい状況だからこそ、四の五のいわずにスパッと引き受けた」

雨雲から早く抜け出すために

西武グループの未来を託された後藤社長がまず行ったのは、再生に向けて最も問題な点が何かを把握することだった。見えてきたのは、社内の混とんとした状態だった。

経営危機下にある企業というものは、どの企業も等しく内部が混乱した状態にある。当時の西武グループでも、役職員までが非常にモチベーションを下げており、何をやっていいのか分からない状況だったという。

そこから脱却するために必要なことを、後藤社長は飛行機にたとえた。

「雷雲が発生し、土砂降りの分厚い雨雲が覆っているときに飛行機が離陸した場合、直後は横揺れや偏揺れを繰り返す大変なダッチロール状態になる。こういうときは、エンジンを全開し、スピードを上げて急上昇し、まずは雷雲の上を目指す。雲の上に行けば、太陽が輝く平穏状態になるからだ。企業の再生の過程においては、このような混とんとした状態からいかに早く抜け出すかが大切だと思う」

再生過程を“ビジュアル”として情報発信していくことも大切な要素となる。後藤社長が用いたのが、社員を鼓舞するために言い続けた「朝の来ない夜はない」という言葉だ。これに端を発し、会見のたびに記者から「太陽はいまどの辺にいるのか?」と質問されるようになった。「まだ太陽は夜明け前だが、これからだんだん明るくなってくる」など回答することで、西武グループの再生状況を想像しやすくたとえて世間に発信した。

ハード・ソフト両面からの改革を実行する

グループビジョンを集約したビジョンブック
グループビジョンを集約したビジョンブック。「全グループ社員約2.3万人に配布しています。何か迷ったときには必ずグループビジョンに戻ってもらいたい、立ち返ってもらいたいというふうに伝えています」(後藤社長)

スピード感をもって再生を果たすために、後藤社長が重視したのは、ハード面とソフト面の両面から改革を実行することだった。改革のハード面としては、西武ホールディングスを頭にしたグループ再編を進め、さらには財務体質の強化、それから収益力の強化、内部管理体制・内部統制の強化という3本柱の強化を実行した。この中で取り組んだ一つが、事業の「峻別と集中」だ。

「よく経営論でいわれるのは“選択”と集中。しかし、我々西武グループの再生はそんな生やさしいことでは達成できない。そこで、“峻別”という厳しいキーワードを使った。断腸の思いで、全国の事業所のうち、約2分の1にあたる約70の事業所を売却ないしは閉鎖した。銀行からの借り入れも2年間で約4割まで減らした」

ソフト面として後藤社長が注力したのが、ビジョンや経営課題を明確に発信し、社員のモチベーションを高めること。社員に進むべき方向性を示して、ベクトルを一つにする狙いだった。

例えば、全社員を中心にアンケート調査を実施。「西武グループに対する思い」「仕事に対する思い」「仕事に対するやりがい」あるいは「今後の西武グループがいかにあるべきか」を聞き出した。その回答を基に策定したのが、冒頭にあるグループスローガン「でかける人を、ほほえむ人へ。」を含む西武グループの “グループビジョン”である。

社内報も活用した。「グループ報ism(Information for Seibu Members)」「別冊ism」「web-ism」で、経営・事業情報を発信。社員への西武イムズの浸透、醸成を図った。「web-ism」においては、後藤社長自ら、社長の業務上における行動や休日の過ごし方など、身近なテーマで自分が感じたままを語った。社長ブログ「社長のきもち」だ。

ブログで気持ちを直接社員に語り掛ける取り組みは、以来ずっと継続している。今では更新がとどこおると「後藤社長、最近ブログさぼってるんじゃないですか」と、現場の社員から言われるほどだ。考え方を伝えるだけでなく、コミュニケーションツールとしても機能している。

外部スタッフによりフェアな周年誌を実現

これらの取り組みのかいがあり、西武ホールディングスは2014年4月に東証一部への上場を果たした。2016年には、西武グループの再編と西武ホールディングスの設立から10周年を迎えた。そこで取り組んだのが、10周年記念誌の制作だった。

10年の節目を迎えてなお、必要なのは引き続き社員のベクトルを合わせることと後藤社長は考える。一つの区切りをもって、過去の歴史を清算するのではない。10周年記念誌を制作し、あらためてこれまでの歩みを振り返り、西武グループとしての社会的役割をグループ社員に再認識してもらうきっかけとするのが目的だった。

「不祥事からのスタート。厳しい状況からのスタート。“フェア”な10周年誌をつくるのを心がけた。負の部分をしっかりと後世に残すためにも、客観的に外部に執筆してもらいたいと考え、我々内部の人間が一切手を加えないルポルタージュを実現した」

そしてできあがったのが、西武グループの過去の不祥事を包み隠さず掲載した10周年史『10th Anniversary Book』だった。

不祥事からいかに早くリスタートを果たすかも大切な点ではあるが、それ以上に不祥事を起こさないことこそ大事である。ガバナンスなどの体制面を整えるのはもちろん、経営層を含めた社員が不祥事を起こそうと考えない組織づくりが重要になってくる。また後世の社員も含めた全社員にこの事実を共有することも平時にできる危機管理である。西武グループでは、後藤社長が先頭に立ち、そのための取り組みを続けている。

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