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企業研究IMJが激動の業界を20年生き抜く

しなやかさと愚直さで変化に適応する

  • 聞き手・構成=熊谷勇一
  • 2017年07月28日
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しなやかさと愚直さで変化に適応する

激しい変化をし続けてきたインターネット業界にあって、IMJは創業から21年を迎えた。将来起きる変化を常に予測できていたわけでは決してない。時には行き当たりばったりともいえる対応もあった。しかしIMJには、変化を乗り越えていくためのDNAがあったからこそ成し得た、そう竹内真二社長は語る。

―現在にいたるまで多くの仕事を経験していますね。

米国カリフォルニアの大学卒業後に帰国して、リーマン・ブラザーズ証券の東京支店に入社。1年後には、採用してくれた上司とともにモルガン・スタンレー証券に一緒に誘われて移籍しました。2003年1月にモルガン・スタンレーで同僚だった南壮一郎(現・ビズリーチ代表取締役社長)とディールウェーブという会社を設立します。企業の価値を評価するソフトウエアの販売や英語教室など、さまざまな事業に着手しました。このときにカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)の増田宗昭社長や楽天の三木谷浩史会長のお手伝いもしました。

2005年の春、増田さんの誘いを受けてペットショップ事業を手掛けることになりました。ただ、雇われとしてやるだけではダメだと考え、全財産を投入してCCCと私個人の合弁会社を立ち上げました。

試行錯誤しつつ、3年ほどペットショップ事業で奮闘。世田谷に1号店、東京ミッドタウンに2号店を設立しました。東京ミッドタウンのお店は今も残っています。しかし事業の方向性をめぐる経営判断が発端となって、事実上、追放される形で辞めることに。数千万円ほど失いました。しかも結婚したばかりでした。

完膚なきまでに自信を打ち砕かれ、自分の周りの音もにおいも色すらも分からないような状態に陥りました。桜の季節だったので、その後数年は桜を見るのに抵抗があったほどです。

そんなとき、リーマン・ブラザーズ時代の上司が声を掛けてくれ、2008年6月に彼の下に復帰する運びとなるも、9月にいわゆるリーマン・ショックで会社が倒産。すぐさま再びどん底に舞い戻りました。

リーマン・ブラザーズ倒産後、日本法人は野村證券が買い取りました。条件も良く、野村證券で働くことにしました。ですが再び自分で事業をしたいという思いは依然強くあり、1年後には野村證券を辞め、リーマン・ブラザーズ時代の仲間とともにクロスポイント・アドバイザーズという会社を設立。再度、独立したのです。2011年くらいから事業がようやく軌道に乗り始めたところ、久しぶりにCCCの増田さんから連絡がありました。一緒に仕事をしないか、と。

具体的には、ファイナンシャルアドバイザーとして、CCCの複数の子会社を今後どうすべきかについてのコンサルティングです。その子会社の中にIMJが入っていました。IMJについては以前から知っていましたが、CCCとの相乗効果は正直余りありませんでした。IMJ株は売却したほうがいいのではないかと提案すると、増田さんは「そうじゃない。買い増したいんだ」と。MBO(マネジメントバイアウト)、つまり非上場化をするための提案をあらためて行いました。

反対するのを諦めてもらうまで言い続ける

IMJ社内でも若手有志が経営改革を進めようとする動きもあったので、彼らに連絡を取って一緒にMBOを進めました。自分の役割はそれで終わりと思いましたが、増田さんから「もっとIMJの経営体制を強くしたいので、中に入ってやってくれ」と頼まれ、CFO(最高財務責任者)として経営に関わることになりました。2012年の春でした。

―CFOとしてまず取り組まれたことは何でしょうか。

まずは業績をさらに向上させるため、徹底的に財務分析を行いました。前COOの川合純一さんという方の肝煎りでプロジェクト管理システムの導入が始まっていたのですが、社員に不評であまり使われていませんでした。社内で不評だった理由は、入力の面倒さです。プロジェクトの売り上げや経費だけでなく、関わる社員たちの勤怠まで入力しなければなりません。そのほか、クライアントから発注書を受け取らないと、案件として承認されず仕事に着手できないなど、それまでの現場からすると手間がかかるところが多々ありました。

まず、プロジェクト管理システムの使用を徹底し、案件の収支を厳しくチェックするようにしました。その上で、自分たちがすべき仕事とそうでない仕事をはっきり区別し、すべきでない仕事については事業譲渡もしました。

―事業譲渡したものにはどんなものがありましたか。

例えばGMOグループに譲渡した運用型広告事業です。一時期は大きな規模があったガラケー用のWebサイト制作もありました。

―改革の効果はどれくらいで出はじめましたか。

1年目です。半期ほどで早々に効果が出て、業績の上方修正をしたぐらいです。それまでは4期連続で最終赤字を出していて、賞与も十分に払えなかったのですが、黒字になって賞与もきちんと出せるようになった頃から、プロジェクト管理システムへの反対も小さくなりました。

―2015年の営業部門新設が成功した理由は何でしょうか。

専門性の高い仕事なので、営業担当は個々の制作運用プロセスやツール、技術などをすべて把握できず、営業しづらい面があります。例えば、せっかく案件を取ってきても、現場がその条件では受けられないと断り、営業部隊がはしごを外されるケースが過去多くありました。そこで営業部門を新設すると同時に、「現場は営業が取ってきた仕事を100%受けなければならない」「営業は取ってきた仕事を外注に丸投げしてはならない」というルールを設けました。

しかし、業務フローや責任分解点をめぐり次々に問題が生じ、「うまくいかないんじゃないか」「この組織は機能しない」という声が出たのも事実です。ですが、「やり続けます」「キーワードは”融合と成長”」と言い続けました。そうすると「この人はこれをやり続けるんだな」と諦めてくれます(笑)。ブレない、逃げないのがやはり大切でしたね。

―インターネットという変化の激しい業界で20年間生き続ける秘策は?

変化に対して最初は文句が出ます。しかしなんだかんだで、最後は変化ができる人たちの集まりなのだと思いました。荒波にもまれても生き残るために変わり続けるのが、この会社のDNAだと。ガラケー用Webサイト制作など、市場が急速にしぼんだり、お手伝いしていたお客様の事業が急になくなったり、のたうちまわるような出来事がたくさんありました。そんなときに、誰かの勇気で新たなチャレンジに取り組む。起きたことへのしなやかな対応力です。特に私たちが手掛けるデジタルマーケティングの世界では、未来のすべてを予測するのは不可能ですから、この力は重要です。

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IMJ竹内真二上席執行役員社長兼CEO

―2015年にCEOになられてからの新たな取り組みは何ですか。

プロジェクト管理システムの使用を愚直に進めてきたほかには、経営陣への信頼の回復があります。それまで社長の報酬額は社長自身が決めていました。これを、役員の報酬額はすべて役員会に諮り、社長の額についてはほかの役員が決める仕組みにしました。私の報酬額もあえて減らしました。このようにして、みんなの中にあった不信感を払拭していったのです。

また、当時は部門間連携が希薄でした。部門間に、それまで買収してきた子会社の名残があったからです。部門の長は、持っている部下が多いほど発言権が強く、いわば“石高”によって勢力の強弱が変わる大名制度のようでした。お互いの領土は不可侵、口出しはするべからず。そうした部門をどんどん統合していきました。ちょっと良く思いすぎかもしれませんが、経営陣への不信感を払拭したと認めてくれたから、組織改革も理解してくれたのではないかと思っています。

コンペなしで受注できる立場への移行

部門統合により、結果としてお客様に提供できるメニューの幅が広がりました。例えば、それまではWebサイト制作のチームと分析のチームは十分に連携できていませんでした。お客様からすれば、セットで提供してほしいですよね。別々のチームが同じ見込み客にアプローチするケースもありました。部門統合によってこれらの問題が解消されたのです。

さらには、過去何度トライしてもうまくいかなかった営業部門の新設を実現しました。それまでは、Webサイト制作運用という足の長いビジネスが、売り上げの7~8割で、営業をかけなくても、既存のお客様との付き合いや紹介だけで仕事をいただけていました。しかし2012年以降、毎年過去最高益を出し続けながらも売り上げは頭打ちという状況でした。そこで反対を押し切って営業部門を新設。2年以上経って定着し、2017年3月期は創業初期以来の2桁の売上高成長を達成できました。

さらに、Webサイト制作の単価がどんどん下がっていたので、「労働時間の単価を上げる」「労働時間の掛け算ではない売り上げをつくる」と目標に定めました。必死で提案書をつくって、プレゼンをしたのに、受注の条件が値引き……という流れから脱却して、常にお客様とお付き合いする手段として、例えばDMP(データマネジメントプラットフォーム)事業への注力を進めました。

これにより、お客様の顧客データに触れたり、Webサイトを訪問した人の行動を分析したりして、サイトリニューアルが必要であればクライアントからの要求を待たずに、こちらから最適な提案をしてコンペなしで受注できる立場への移行を目指してきたわけです。

そして2016年にアクセンチュアのグループに加わったのも、大きな変化の1つです。これも先ほど述べた“融合と成長”がテーマですし、さらに新しい価値を提供したいと思っています。

―これまでのご自身のご経歴も変化に富んでいますね。変化への適応は性に合っているのでしょうか。

2008年にどん底まで落ちたときにはさすがにメンタルが壊れそうになりましたが、以後の出来事は「あれに比べたら圧倒的にマシだな」と思えます。重要なのは、状況の分析と感情をリンクさせないことです。悪い出来事に感情をリンクさせると滅入ってしまいます。これは意識的に避けるようにしています。「日が沈んでからは何も悩まない」「床に就いてからは考えごとをしない」「考えごとをするなら机で紙に書き出す」を実践しています。大変なんですけれども、性に合っていますね(笑)

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