企業研究「誠実」というDNAが時代や文化を超えて根づく理由
武田薬品工業の伝説の施設を覗いた
- 取材・文=成田美由喜
- 2018年05月21日
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日本を代表する製薬企業である武田薬品工業。1781年の創業から文化や国を超えて「誠実」であることを経営の基本精神として継承してきた。その精神の実践を体現している3つの施設がある。1つは、創業家の屋敷だった「銜艸居(かんそうきょ)」(神戸市)、もう1つは薬用植物を収集・保存する「薬用植物園」(京都市)、そして貴重な薬学の典籍コレクションを保存管理する「杏雨書屋(きょううしょおく)」(大阪・道修町*1)だ。
グローバル化を進める武田薬品は240年近い歴史を持つが、この3施設は、創業からのDNAを時代や文化を超えて伝えるための重要な場所である。それらを特別に取材させてもらった。
*1 武田科学振興財団による運営主催
創業時の息吹を感じる
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神戸市東灘区御影は、そうそうたる実業家が邸宅を構える高級住宅地。その一画に、瀟洒な洋館が佇む。武田薬品工業創業家の屋敷であった武田史料館「銜艸居」だ。この邸は1932年(昭和7年)に、創業家の6代目、武田長兵衞氏が27歳で結婚するときに居宅として建てられた。英国ケンブリッジ大学に留学経験のある6代目が、英国の伝統建築様式であるチューダー様式の洋館をベースとしながら、英国郊外のコテージ・スタイルを取り入れた。
こうした建築様式としたのには狙いがあった。施主である6代目は「いずれ武田も世界に雄飛する。海外の得意先を呼んでパーティーを開けるような家にしたかった*2」と、よく語っていたという。その目的通り、1階は、招待客を招く大応接室、食堂、そして主に婦人らが集う応接室からなる。邸内は、近くに屋敷を構え親交の深かった画家、小磯良平の油絵で彩られている。
2階は主にプライベートスペースとして使われた。多趣味の氏らしく、洋館の中に、和室や茶室もあしらわれる。「銜艸居」という邸名は、中国の古典「史記(司馬貞補)三皇紀」より、医療と農耕の知識を人々に伝えた本草学の始祖・神農(しんのう)が、薬草を見極めるために自ら口にしたという伝承から命名された。「銜」は口にする、「艸」は草の意味。交遊のある法隆寺第103代管主 佐伯定胤(じょういん)氏と京都大学総長だった羽田亨氏が関わった。東洋と西洋がうまく融合するこの建物は、今の武田薬品の姿を予見する存在のように感じられる。
1980年に、急逝した7代目の後を追うように6代目が死去すると、主人を失った邸宅は、後を継いだ國男氏が社長のとき、武田薬品が社として買い上げ、現在の史料館として整備された。初代長兵衞の肖像画(レプリカ)や、彼が丁稚奉公から始まり、誠実な商売で事業を大きくしてきたことが分かる古文書など、創業から現在に至る武田薬品の歴史を知ることができる資料が展示されている。
一般には非公開の建物であるが、武田薬品の経営陣や、時には外国人の社員が来日する際などに、そのDNAを体験できる場所として利用される。現在、役員の大半を外国人が占めるほどグローバル化が進展する同社にとって、創業精神に立ち返る重要な場所だ。
*2 日本経済新聞2004年11月2日掲載「私の履歴書」武田國男②より
次世代のバイオダイバーシティを守る「薬用植物園」
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2つめの施設、京都御所の北東に位置する比叡山の麓にある「京都薬用植物園」は、銜艸居が建てられた翌年、1933年(昭和8年)に「京都武田薬草園」として創設された。長らく、薬用植物の基礎研究、品種改良、天然物由来の医薬品創出の場となってきた。94年に研究部門が移転し、現在の名称に改められた。薬用植物を中心とした植物の栽培研究、遺伝子資源の収集・保存を行う。
その数は、日本薬局方に掲載される生薬の基原植物を中心とした約2600種類に上る。その中には絶滅危惧種約200種類も含まれる。日本有数の規模を誇る薬用植物園で、次世代のバイオダイバーシティを保護する場所だ。
植物保護の観点から原則、一般公開はしていないが、年数回行われる特別見学会のほか、教育機関として薬学部生受け入れ、さらに、地域の子どもたちの見学は積極的に受け入れている。
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6人の社員管理スタッフが、温度、土壌タイプ、日光の当たり方を調整。植栽する1000種に細心の注意を払う。こうした地味ではあるが重要な「種の保全」という役割を、国ではなく一企業が担っている。まさに武田薬品が大切にしてきた「陰徳陽報(いんとくようほう:人に知られないで善行を行うこと)」を体現する。実際に、海外社員とその家族がこの施設を訪れると、多くがその理念に感心して帰っていくという。
文化や言葉を越えて伝える武田薬品の理念
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武田薬品発祥の地である大阪・道修町には、紹介した2施設の他に、武田科学振興財団が管理する「杏雨書屋」がある。関東大震災で貴重な典籍が失われたことを痛嘆した5代目武田長兵衞氏が、貴重な文物を後世へ伝えるために私財を投げうって収集したコレクションの保管・展示を行う。
先に紹介した銜艸居とこの杏雨書屋は、CSRという言葉がなかった時代から、本業を通して誠実に社会へ貢献し成長してきた武田薬品の歴史と、創業家の思いに直に触れる施設だといえる。そして薬用植物園は、粛々と未来へ薬と医療をつないでいる現在の武田薬品の姿の象徴である。これらの施設を訪れ、肌で感じる体験は、言葉や文化の壁も越え、どんな説明よりも説得力を持って、企業理念を伝える。
- 2018年05月21日
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