香り作りの世界、調香師との付き合い方

香りとブランド作り

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    ブランドコミュニケーション部シニアコンサルタント 橋本 敏彦

香りとブランド作り
香りをブランディングやマーケティングなどに活用する動きが注目されています。企業で製品やブランドのコミュニケーションを担当する人にとって、これからは香りのプロとの付き合いが必要になるのかもしれません。香り作りとはどのような世界なのか、そして調香師さんとはどのようにコミュニケーションを取ればいいのか、日本調香技術普及協会で理事をされている森日南雄さんに伺いました。

ブランドの良さを伝えたい――。そう思ったとき、人はどんな情報発信をするのでしょう。ブランドの魅力を文章やコピーで表現し、写真を添えてネットで発信する。場合によっては動画やナレーション、音楽を使うこともあるでしょう。

ネット時代において文章や写真は拡散力のある表現方法です。配信は簡単にできますし、SNSで拡散するのも速い。ただ、これらは人の視覚にしか訴えていません。文章は視覚、写真も視覚です。動画やナレーションがあると表現の幅が広がりますが、それでも聴覚へのアピールが加わるだけ。そう気付くと、ほかの感覚に訴えて、もっと表現の幅を広げる余地はないものかと思案するようになりました。

例えば香りはどうでしょう。もちろん香りをネットに乗せることはできません。使い方は限定的です。それでもマリオットホテルやコンラッド・ホテルズ&リゾーツなど外資系ホテルでは、ロビーに入るとホテルのオリジナルの香りが出迎えてくれます。その場所でしか感じることができませんが、そのことが逆に「またこのホテルに来られた」という再訪の気持ちを強く印象づけることに成功しています。

香りを感じることで、ある人は過去に滞在したときの楽しかったことを思い出すかもしれません。また、出張で訪れたビジネスパーソンなら過去の商談が成功裏に終わったときの達成感やホテルに戻ったときの安堵感を思い起こすのかもしれません。ある感覚をきっかけに、同じ感覚を体験した過去を思い出すことを「プルースト効果」というそうです。その効果に期待してなのか、最近は国内ホテルでも香りを導入するホテルが増えています。

香りの“文法”を知っていますか?

香りの効果はプルースト効果に限りません。ラグジュアリーな香り、さわやかな香り・・・香りそのものがメッセージになり得ます。ブランド作りに香りを使うことはこれまでにない演出になるかもしれません。

ただし、使い方はよく考えないといけません。香りを楽しむ人は若い人を中心に増えてきているといわれていますが、無臭がよいと思う日本人はまだ多いですし、そもそも似合わない香りだとアピールが逆効果になってしまいます。香りを付けることができるのは具体的なモノや場所です。企業ブランドやサービスなどカタチのないものに香り付けすることはできません。企業やサービスをアピールしたいときは何を発信元(香りを放つ元)にするのか、シチュエーションはどうするか、期待する効果は何か、といった演出をしっかり考えておく必要があるでしょう。

また「香り作り」は、多くの人にとってうかがい知れない世界です。情報発信を仕掛ける人のなかにも、なじみのある人は少ないのではないでしょうか。香り作りそのものは調香師などプロに頼むことになるのですが、打ち合わせのときにうまくブランドの個性や思いを伝え、コミュニケーションを取ることができるでしょうか。ある程度の共通言語を持って臨まないと思ったとおりのブランド支援はできないのではないかと不安になります。

最近、調香師の方に取材をさせていただく機会がありました。そこで、どんな共通言語があるのか探りながら、少しばかり香りの世界を覗いてみることにしました。お話しを伺ったのは森日南雄(もり ひなお)さん。日本調香技術普及協会(JSPT)で理事をされていて、現在は豊玉香料という香料会社で「コンサルタント パヒューマー」をしていらっしゃる人です。

豊玉香料の「コンサルタント パヒューマー」、森日南雄(もり ひなお)さん

豊玉香料の「コンサルタント パヒューマー」、森日南雄(もり ひなお)さん
日本調香技術普及協会(JSPT)の理事を務めている

森さんが調香師への第一歩を踏み出したきっかけは大手香料会社への就職でした。当時、香り作りは欧米が圧倒的に先行していましたので、会社は森さんを、香料を学ぶ者の聖地、南仏グラースにある香料会社ルールデュポンの香料学校に研修生として送り出しました。1975年のことです。

森さんはそこで調香の基礎をゼロから学んだそうです。まずは基本的な天然香料や合成香料など数百種類の匂いを毎日繰り返し覚えます。次にそれらを組み合わせて香りのハーモニー(アコード)を作る訓練に入ります。

香りのハーモニーは香水をイメージしてもらうと分かりやすいのですが、そのなかにはすぐに香る香料とゆっくりと香る香料があります。まず初めに感じる香りはトップノートと呼ばれる香り。分子量が小さく揮発性のある香料群が最初に空間に飛びだします。次に立ち上がる香りがミドルノート。そして最後に、分子量の大きな香料群が飛びます。残り香の役割を果たすラストノート(ベースノート)です。

森さんが香りのハーモニーを考えるときは、まず基本素材をトップ、ミドル、ラストの中から選び、比率を決めて調合するそうです。作りたてのときはこれら香りを同時に嗅いで確認します。次に時間経過とともに移ろう香りの変化を見ながら、比率や処方を調整していくのだそうです。

どうも、調香師の勉強は音楽のトレーニングに似ています。繰り返し匂いを覚えるトレーニングはソルフェージュ。ここで音程(個々の香り)をしっかり覚え、次にそれを組み合わせた和音(香りのアコード)に進む。もとより香りの世界ではアコード(和音)とかノート(音程)といった音楽用語を使っていますから、調香師の人たちもそう意識しているのかもしれません。調香師の人たちの間では「これは完璧」といわれている“鉄板のアコード”もあるそうです。それは例えば「ドミソ」のようなものなのでしょう。

シャネル No.5 の個性

“鉄板のアコード”はポピュラーゆえにいろいろなところで使われていますが、あまりに使われすぎたために「個性がない」と飽きられるそうです。ますますドミソに似ている気がします。

一方、香水のなかには名香と呼ばれるものがいくつかあります。シャネルNo.5は有名ですが、森さんによれば名香はどれも個性がある、ありきたりのドミソにない要素があるのだとか。

シャネルNo.5では合成香料が個性づくりに一役買っています。シャネルNo.5が開発された当時は天然香料が主体の時代で、合成香料が使われ始めたとはいえ、その分量はごく微量でした。そうした時代に、シャネルNo.5では合成香料が大胆に使われました(とはいえ天然香料に比べれば低い比率ですが)。特に有名なのがアルデヒド。この合成香料はそのままでは油っこさを感じる、決して快い匂いではないのですが、強い拡散力と他の匂いを引き上げる個性があります。シャネルNo.5は、大きく分類すればフローラル調の香水ですが、トップノートにこのアルデヒドがあるため、最初に発する香りは、甘く、けれども大人の雰囲気を持った香りと感じます。アルデヒドがシャネルNo.5の個性を形作る一つの要素になっているのです。

いわばドミソに「シ」を加えたように、アルデヒドは曲想をガラリと変える働きをしました。調香師の人たちはそうした独特の個性を作り出そうと、頭のなかで組み立てたり、実際に調合して確認したりしながら創作していくのだとか。そう聞くと、個性ある香りを作る作業というのは相当に経験とセンスが必要なクリエーターの仕事なのだと思います。

森さんはご自身のコラムで「『森の作った香りは音楽が聞こえてくる』と言われるような心に残る独創的な香りを作り続けていきたい」と書いています。まさにクリエーターの覚悟です。

信頼できるクリエーターを探せ

共通言語の話に戻しましょう。香水選びでは「フレグランス・ホイール」という図を使うことがあります。調香師と打ち合わせをするとき、コミュニケーションの第一歩はこれになるかもしれません。

フレグランス・ホイールは好みの香りを見つけたいときによく使われる図です。香りを、フローラル、フレッシュ、ウッディ、オリエンタルという4つのファミリーに大きく分け、さらにそれを細分化したグループに分けています。

基本的な方向性を打ち合わせるときは、これらの言葉で足りるのかもしれません。ただ、ブランドの良さを伝えようとするなら、もう少し繊細なニュアンスまで打ち合わせたくなります。さらに香りの勉強をする必要があるのでしょうか。

そんな心配をしていたら、森さんからたしなめられました。「依頼されるときに具体的な素材を言われることはないですよ。だいたいイメージで言われることが多い。風の音だとか、夏の海から戻ってシャワーを浴びたときの爽快感だとか」。あるときは音楽を指定されて「この音楽のような香り」と言われたこともあったとか。「言われるイメージはいろいろです。そうした五感で感じるあらゆるイメージを香りに具現化していくのが私の仕事です」。そう森さんに言われ、筆者自身、少し神経質になりすぎていたのだと反省しました。

信頼関係という、専門家に依頼するときには当たり前の関係さえ確認できれば、あとはブランドに込める思いを伝える。信頼できる専門家であれば、それをきちんと受けとめて応えてくれるはず。「専門の領域は専門家に任せる」です。

ブランドに香りを活かす第一歩は、信頼できる調香師を見つけることなのかもしれません。

橋本敏彦

ブランドコミュニケーション部 シニアコンサルタント
橋本 敏彦(はしもと・としひこ)

日経BPの前身、日経マグロウヒル社でエレクトロニクス専門誌の記者。その後、日経BPのCG専門誌、パソコン専門誌、インターネット媒体などで副編集長を務め、2010年に日経BPコンサルティングへ出向。大学のWebサイトについて、主にユーザビリティの観点からコンサルティングを行っている。「大学スマホ・サイト ユーザビリティ調査」を毎年発行。また、ブランド発信のお手伝いとしてコンテンツ制作も担当。AIから工学系全般、育児教育まで幅広い分野で取材・執筆実績あり。

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