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周年事業象印マホービン×ヒューマックス担当者対談

周年事業担当者のあるある「終えると周年ロスに」!?

  • 文=青山明
  • 2019年11月26日
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周年事業担当者のあるある「終えると周年ロスに」!?

他社の周年事業担当者は、どんな悩みを抱えている?仕事の進め方や仲間の作り方、社内調整や外部スタッフとのやりとりといった周年担当者ならではの“10のあるある”を紹介する。100周年を終えた象印マホービンの樋川氏と、70周年を終えたヒューマックスの杉谷氏に語り合ってもらった。樋川氏は13のプロジェクトにまたがる周年事業全般を、杉谷氏は社の成り立ちを1冊にまとめた書籍を担当した。

<あるある1>周年事業は孤独

―お二人の知り合ったきっかけを教えてください。

杉谷:ヒューマックスの周年事業の周年史担当は私1人という状況で、不安でいっぱいでした。出版社主催のアーカイブズのセミナーに参加した際に、登壇者も女性1人で担当されていると聞いて、「1人でやるに当たり、何か私に励ましの言葉をください。どんなことに気をつけたらいいのでしょうか…」と質問をしました。すると「1人はいいこともたくさんあるんです。トップと近いから決定が早いですよ」とお答えいただきました。樋川さんも質問されていて、あの象印さんでも1人なんだ、と。そのあと名刺交換をさせていただきました。

樋川:実際は、社員が私1人であとは嘱託の方が1人いました。事務局が設置された2015年から社史発刊までの4年間、2人だけでした。嘱託の方は前半と後半で人が変わったのですが、前半の1年半は64歳の方で、後半の1年半は62歳の方でした。前半の方は入社以来、国際営業関係だった方で、後半の方は商品開発に携わっていらっしゃいました。私自身の経歴と重複せず、お互いにない知識を出し合えたのがよかったです。

杉谷:1人だと自分のペースで進めて、協力会社と相談し、あとは上司に「こういう状況なので進めます」と進捗報告することで前進できます。常に私の中で前倒しの締め切りがあって、社内の調整をするに当たっては、相手のスケジュールを確認しながら、余裕を持ってチェックしてもらうようにしました。皆さんにチェックを依頼する前に、必ず私がチェックするのを徹底しました。担当が数人いたとしたら、このスピードは落ちる気がします。

<あるある2>周年事業担当になると、わりとショック

―周年事業の担当になった際の率直な感想を教えてください。

樋川:周年事業専任といわれて落ち込みましたね。過去を振り返る業務は利益を生まないといわれていましたし、言葉は悪いですが窓際のイメージがありました。

杉谷:当初、チームで担当する予定が、新設部署に異動になり、1人で担当することになりました。専任ではなく他の業務もあるので、不安の方が大きくなり体調を崩し、数日会社を休みました。

<あるある3>外部とのネットワークが広がる

―どのようなモチベーションでできたのでしょうか。

樋川:実のところ、社史の編纂は地味な作業が多いです。相談できる相手も少なく、孤独になりがちです。他の社員は未来に向かって仕事をしているのに、こちらは過去の振り返りですからね。相談相手もいない、マニュアルも前任者もいない。だからこそ、情報収集のためにセミナーに参加するなど、社外とつながりを持つことが大切になってきます。企業史料協議会という団体がありますし、たくさんの社史を蔵書としている川崎図書館ではセミナーもやっています。通常の業務では交わらない、競合の企業とも関わりが持てて人脈が広がる。周年事業担当者同士は利害関係が全くないので、なんでも相談できる関係性を築けるんです。これは、周年事業担当のメリットの1つです。

杉谷:とにかく外から情報を得るしか、プロジェクトを成功させる方法はないと感じていました。ところが、社史の蔵書が多いことで有名な神奈川県立川崎図書館が、移転のため休館していて、がっかりしました。時間も限られているので、ここは協力会社のプロの力を借りるのが近道だと思いました。私が意識したのは、協力会社に「業者」という線を引かないようにしたことです。“助けてもらっている”という意識で、困ったこともすぐに共有するようにしました。メールでのやり取りももちろんありましたけれど、最終的にはじかに話さないとズレが生じる可能性があります。だからメールで内容を伝えた後、電話をしていました。そのおかげで「チーム」になれて、孤独を感じずに済みました。

樋川:まったく同感です。発注者という立場ではなく、「パートナー」という考え方を常に堅持していました。

<あるある4>トップのむちゃぶりからのブレークスルー

―制作物に対してトップからの希望はありましたか。

杉谷:最初から決まっていたのは、初めて見た人が「これが社史なの?」と思うような、異色な、オモロイもので、手に取りやすい本を作ること。私は2008年にヒューマックスに入社しましたが、その当時も年表やすぐに確認できる史料はほとんどなく、会社案内や社内報のバックナンバーも整理されていませんでした。前職で文書管理を担当していた経緯もあり、自分からファイリングを進めたいと申し出ました。倉庫やキャビネットを整理してバックナンバーを探しました。全部はそろわなかったものの、その後、電子化をして目録も作りました。その出来事があったから、今回いいものが出来上がったと思います。片付けることで使いやすくなるし、長年の仕事柄、記録は残さなければいけないと思っていました。今思うと、当時からここへつながる“道”があったのかなと。史料が少ないのは割り切って、構成の工夫とインタビューで乗り切った感があります。

樋川:このハンドブック形式のつくりには、すごく感動しました。ダイジェスト版とか、小冊子は結構作られていますけど、「正史の圧縮版」みたいなものが多いんです。ですが、こちらは本当に手に取りやすくという狙い通り、持ち歩いて暇なとき、ちょっとした待ち時間とかに、ちょこちょこ読み進められます。いつでも社員が持っていられるというのは、読んでもらう努力をちゃんとされてるなと感じました。

<あるある5>作業中は気分が滅入る

杉谷:モチベーションを保つために、いっぱい遊んでいました(笑)オンとオフの切り替えは、とても大事だと感じます。休日は原稿を読まないと決めて、リフレッシュしていました。

作業中は気分が滅入る

樋川:整理事をずっとやっていると、気分が滅入ってくるんです。なので、必ず作業時間を決めていました。過去をアーカイブしているときには、ビデオテープが数千本出てきます。もちろんタイトルは書いてありますが、確認しないといけない。地下室に入って、ヘッドホンをして、ビデオテープをデッキに入れて……これをずっとやっていたらおかしくなると思ったので、1日3時間までにしました。

杉谷:それは分かります。時間を区切って仕事をしないと、きりがないんです。集中しすぎて休憩も取らずに作業するようになると、体を壊してしまいます。当初、「資料整理などで人を雇ってよい」と言われていたのですが、すでに1人でやるほうが効率はいいと分かっていましたから、自分でやるしかありませんでした。ですから健康第一で、プロジェクトの間はインフルエンザにかからないように、規則正しい生活をして、人混みを避けていました。

<あるある6>社内交渉力が向上する

―周年事業をやって身についたスキルはありましたか。

樋川:当初、周年事業事務局は、既存部署の一角でよいと思われていました。それでは複数年度の史料を広げることもできないと焦りました。拡張を申し出るにしても、「ただ広い部屋が欲しい」だけでは会社に納得してもらえません。そこで、他社の周年事業を例に出し、「100年分の年表を広がられる広さが必要」と交渉。結果、8人部屋を3年間、貸してもらえました。周年事業は、社長も分からない、担当者も分からないという状況が多いと思いますが、だからこそ情報収集して自分から意見具申しないと前に進まないものです。予備知識を仕入れ、理論武装したうえで交渉に挑むのがポイントです。

社内交渉力が向上する

杉谷:私の場合は、どうしても間に合わない場合に、出先や自宅で作業できる環境を整えようと、デスクトップパソコンからノートパソコンに変えてもらう交渉をしました。やると決めた以上、体調不良を理由で止められないなって思ったので。それから資料をまとめる力やプレゼン力も上がりました。あと、速読ではありませんが、文章を読むスピードは格段にアップしました。すでに元に戻っている気もしますが…(笑)

<あるある7>社員との距離感に気を使う

―周年事業は周囲を巻き込めとよく言われますが、どのように対応していったのでしょうか。

杉谷:当社は「周年史」をつくるのは公にしていましたが、「どんなものか」は公表しませんでした。そのため、取材対象者ですら全体像は見えていなかったかもしれません。周りからは、私の机はいつもなぜか散らかっていると思われていたようです。結果的には関わる人を少なくしたおかげで、確認する時間を短縮して10カ月で仕上げられました。

樋川:当社は大きく分けて4部門に分かれています。各部門に責任者を置き、そこに必要な資料をもらう形で進めました。とはいえ社員は現業で忙しいため、資料はなかなか集まりません。社員に自分事として受け止めてもらうように、社内のイントラネットを使って毎月のようにコンテンツを配信して、徐々に機運を高めていきました。何か決め事をする際はイントラで社員投票も行いました。

社員との距離感に気を使う

<あるある8>取材回数は予定より増える

―OBやキーパーソンへの取材はいかがでしたか。

杉谷:取材はものすごく集中してやりました。期間的に短い間に連続して取材を行ったのですが、取材で録音されていることが書いてあるのに「こんなことを言ったかな?」とか、「もう1回話を聞いてほしい」とかおっしゃって(笑)意外と順調にいったとは思うんですが、追加で取材する方もいて回数は増えてしまいましたね。完成が見えてきた残り2カ月ほどのときに、社長が急に取材していないことをどうにか入れたいと言い出したんです。そのときは私が書くしかありませんでした。それが一番早いかなと思って。結局台割が変更になり、予定よりも1カ月納品が延びてしまいました。

<あるある9>終わると周年事業ロスになる

―周年事業を終えたときの気持ちを教えてください。

樋川:正直、始めの半年間ぐらいは、とにかく“どうしよう”と不安でした。しかし納期の数カ月前になると、不安を感じる余裕すらありませんでした。終わった後は、達成感がしばらく続きましたが、だんだん落ち着いてくると、今度は「この後、どうなるんだろう」という不安に変わりました。完全に“周年事業ロス”です。

杉谷:つくっている間は楽しかったです。自分が楽しんでつくらないと、皆さんが読んでも楽しい本にならないと思ったので。印刷所に入稿した日に、『日経WOMAN』の取材がありました。その初校の写真を見た上司から「めちゃめちゃビックスマイルだね」と言われました。すごい開放感だったのでしょうね(笑)やり遂げた達成感もありましたし、プロジェクトの期間が10カ月と短い分、濃厚だったのもあって、“子供”のように愛着がわきました。開放感の後に、ロスとまでは言えないですが、少しさみしさを感じました。

<あるある10>みんなが困らないようにしたくなる

―周年事業を経験し、思うことはなんですか。

杉谷:社内に相談できる人がいないところからスタートし、協力業者とチームになって進められました。制作を終えて、社史編纂の担当者はみな同じような悩みを持っているのも分かりました。今期はアーカイブズの基準を作って、ここから先、どう収集していくかを策定する目標を掲げています。別に、今やらなくても困る仕事ではないんです。ただ、私としては、例えば30年後の100周年のとき、担当者が困らないようにしたいなっていう気持ちがあるんです。やり残した仕事の1つに年表があります。需要に応じたものは、典拠を調べてあるんですが、すべての領域の年表が同じ基準できれいにそろっていない。この先、年表に何を記載し、残すべきかの指標をつくりたいと思っています。これもアーカイブズの1つといえます。写真の残し方も同じです。デジタル化したとして、何をどう取っておくのか。アーカイブズの重要性が社会的にもっと盛り上がれば、この取り組みも加速するのかなとも思います。

樋川:私は周年を終え、今やりがいのある新しい任務を任されてよかったと思っています。しかし今まで他社の周年担当者を見て思うのは、会社の上層部には、周年事業は大事だというのを理解してもらいたいのと同時に、この仕事を終えた担当者に、それなりの待遇をしてあげてほしいと伝えたいです。“周年終わって万歳、おめでとう”で終わらせては絶対いけません。社員たちはよく見ています。それなりの待遇をすれば、次の社史制作の際には、担当をしたいとみんな手を挙げるはずです。さらにチームには30代の人をサブで入れてほしいと思います。そうすれば、10年後、20年後の周年時に、今度はその人にリーダーになってもらえます。そのような「循環する仕組み」をぜひ取り入れてほしいと思っています。

周年事業を経験し、思うことはなんですか。
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