「人的資本」と「脱炭素」の戦略を考える①
人的資本経営の実現に求められる「実践」と「開示」 その取り組みの具体像とは
2022年9月15日開催
「企業価値向上セミナー『人的資本』と『脱炭素』の戦略を考える」
基調講演:「人的資本経営の実現に向けて」より
文=斉藤 俊明
写真=木村 輝
構成=古塚浩一、金縄洋右
重要性を増す、経営戦略と連動した人事戦略実践と人的資本の情報開示
経済産業省は、日本企業の人的資本経営への転換を促す観点から、2020年9月にいわゆる「人材版伊藤レポート」を公表した。同レポートは多くの企業の人事担当者等が目を通していることだろう。
島津氏は、経産省が「人材版伊藤レポート」を公表してから2つの重要な変化があったと指摘する。1つは、デジタル化や脱炭素の流れの中、新型コロナウイルス感染症拡大への対応が重なり、現実の経営においても人的資本が課題としての重みを増してきたこと。そしてもう1つは、情報開示の機運が国内外で高まっていることだ。日本では2021年、コーポレートガバナンス・コードの改訂で人的資本への投資の開示が盛り込まれ、投資家も重視している。米国や欧州でも人的資本に関する情報開示強化の流れが見られる。
この2つの変化から、経営陣には具体的行動が強く求められるようになったと島津氏。その上で「真の人的資本経営を実現していくには、経営戦略と連動した人材戦略をどう実践するか、そして情報をどう可視化し投資家に伝えていくか、この『実践』と『開示』の両輪の取り組みが重要と考えています」と語る。
経済産業省 経済産業政策局
産業人材課長 島津 裕紀 氏
まず実践については、「人材版伊藤レポート」で考え方が整理されているものの、具体的な取り組みに関する情報を求める声が出たことから、経産省は2022年5月に「人材版伊藤レポート2.0」を公表した。また可視化=開示についても、内閣官房の有識者研究会が取りまとめた「人的資本可視化指針」が8月に発表された。こうした動きに、「日本でもついに人的資本経営の実践と開示の時代が本格的に始まると思っています」と島津氏は期待感を示す。
「人材版伊藤レポート2.0」における3つの視点と5つの要素とは
「人材版伊藤レポート2.0」では人的資本経営のフレームワークを3つの視点と5つの共通要素で整理している。
「3つの視点は、人材戦略と経営戦略の連動を常に保っておくために重要な視点という位置づけで整理したものです」と島津氏。「経営戦略と人材戦略の連動」「As is-To beギャップの定量把握」「企業文化への定着」の3点をしっかり見ているかが問われる。そして5つの要素は「動的な人材ポートフォリオ」「知・経験のダイバーシティ&インクルージョン」「リスキル・学び直し」「従業員エンゲージメント」「時間や場所にとらわれない働き方」としている。
「人材版伊藤レポート2.0」では、3つの視点と5つの要素がセクションごとに対応した作りになっており、一つ一つのセクションで参考になる取り組みを提示している。
島津氏は「人材版伊藤レポート2.0」のポイントとして、
- CHROによる改革を促すこと
- 中長期的に必要となる社内の人材像・スキルを明確化し、そのギャップを埋めるための行動を促すこと
- リスキル・留学・起業の支援を促すこと
- 兼業・副業を推進するための社内環境を整備すること
- Well-beingの視点を取り込むこと
の5点を挙げ、レポートには企業19社の実践事例集も追加されていると説明した。
一方、「人的資本可視化指針」には人的資本の可視化の方法として、人的資本への投資と競争力のつながりの明確化、「ガバナンス」「戦略」「リスク管理」「指標と目標」という4つの要素に沿った開示、開示事項の類型に応じた個別事項の具体的内容の検討などが記されている。そして、可視化に向けた具体的なステップとして、有価証券報告書での対応と、任意開示(統合報告書、長期ビジョン、中期経営計画、サステナビリティレポートなどの戦略的活用の双方があるとしている。
島津氏は、今や多くの投資家が人材戦略に関する経営者からの説明を期待していると解説する。その上で、「人的資本可視化指針」に列挙された可視化における経営者への期待を4点に分けて解説する。1つ目は長期的な業績、競争力に関連する目標や指標を明瞭に説明すること、2つ目は独自性と比較可能性のバランスを確保すること、3つ目が価値向上とリスクマネジメントのどちらの観点からの開示であるかを明確にすること、そして4つ目は、独自の目標あるいは指標について、ビジネスモデルや経営戦略との関連性、重要だと考える理由、自社としての定義等も併せて説明することだ。
「人材版伊藤レポート2.0」の最後にある「おわりに」のセクションには、次のステップにつながる言葉が書かれていると島津氏は話す。それは、人的資本経営に取り組む企業と、それを評価する投資家が様々な形で意見を交わし、高みを目指していく場が、まさにこれから求められていくというものだ。
この内容を受けた次のアクションとして、8月に日本企業が人的資本経営の実践・開示の両輪で取り組む場である「人的資本経営コンソーシアム」が設立された。
その設立趣意書では、経営陣が中長期的な成長に資する人材戦略の策定を主導して実践し、方針をステークホルダーに説明することが、持続的な企業価値の向上に不可欠だとしている。具体的な活動はこれからだが、先進事例の共有や企業間協力に向けた議論、効果的な情報開示の検討を行う場となる予定。実践・開示の両分科会を設けて自主的な議論を進めるほか、会員企業と投資家の対話の場も用意していく考えだと島津氏は語った。
連載:「人的資本」と「脱炭素」の戦略を考える
- 【1】人的資本経営の実現に求められる「実践」と「開示」 その取り組みの具体像とは
- 【2】企業価値向上に大きな影響を与える、人的資本投資のROIを計算する意義
- 【3】多様性を前提にした人材育成の取り組みと“ありのまま”の開示を企業価値向上につなげる
- 【4】脱炭素の取り組み開示でユニバーサルオーナーに企業価値を評価されるESG経営を目指す
- 【5】TCFDへの対応においてスコープ3算定が重要になる理由とは
経済産業省 経済産業政策局 産業人材課長
島津 裕紀 (しまづ・ゆうき) 氏
2004年経済産業省入省。航空機産業政策、新エネルギー政策、原子力政策などの担当の後、大臣官房総務課政策企画委員を経て、2021年より現職。 経産省の人材政策の責任者。人的資本経営の推進、多様な働き方の環境整備、リスキル政策などを担当。
※肩書きは記事公開時点のものです。
サステナビリティ本部 本部長
古塚 浩一
2018年、日経BPコンサルティング SDGsデザインセンター長に就任。企業がSDGsにどのように取り組むべきかを示した行動指針「SDGコンパス」の5つのステップに沿って、サステナビリティ経営の推進を支援。パーパスの策定やマテリアリティ特定、価値創造ストーリーの策定から、統合報告書やサステナビリティサイト、ブランディング動画等の開示情報をつくるパートまで、一気通貫でアドバイザリーを行うことを強みとしている。2022年1月よりQUICK社とESGアドバイザリー・サービスの共同事業を開始。ESG評価を向上させるサービスにも注力している。