知られざる中国インバウンドの主役
バーリンホウ(八〇後)のニューリッチ消費 第2回

バーリンホウは“コト体験”でひきつけろ

2018.04.09

マーケティングリサーチ

  • 袁 静

    株式会社行楽ジャパン 代表取締役社長 袁 静

第2回 八〇後は“コト体験”でひきつけろ
第1回は「八〇後」の消費像について述べましたが、今回は取材などをもとにマーケティング観点から八〇後の実態を明らかにしていきます。
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ちょっと意外な八〇後が屋久島に来た理由

私は鹿児島県から「薩摩大使」に任命されているほか、「行楽」の読者を対象にしたモニターツアーやイベントを開催している関係もあって、鹿児島にはよく出かけます。1年ほど前、世界遺産の島・屋久島で経験した八〇後のエピソードを紹介しましょう。
2016年の春、私は取材のため屋久島を訪れ、泊まっていた民宿で上海からきたグループと出会いました。全員が外資系コンサルティング会社の同僚だそうで、20代後半から30代前半の世代、つまり「八〇後」の人たちです。
グループで日本語を話せるのは日本留学経験のある女性一人だけ、それもやっとカタコトというレベルでした。ほかの人たちは、もちろん英語はペラペラですが、日本語はまったくわかりません。
カタコト日本語の女性以外は、全員、日本が初めてだと言っていました。当然、東京にも大阪にも行ったことがないといいます。「初めての日本なのになぜ屋久島を選んだのか」と興味を持ち、尋ねると「(留学経験のある)彼女の提案で、山登りにきたんだよ」と笑顔で答えてくれました。
その晩は夕食の席をみんなで囲みながら話し合い、翌朝彼らは早朝から、登山ガイドとともに縄文杉を見る山登りへ出かけていきました。
実はこれが典型的な八〇後の感覚なのですが、ピンと来ないマーケティング担当の方のために時代背景から説明しましょう。

八〇後のFITが主役になった背景

1970年代までの中国は、まだ一般の人たちが自由に海外旅行ができる時代ではありませんでした。90年代に入ってようやく、中国人向け団体旅行ビザを発給する国も次第に増えていったため、こぞって団体旅行へ出かけるようになりました。
この頃の主役は、八〇後の親たちの世代でした。デスティネーション(目的地)は団体ビザ発給が早めに始まったタイやマレーシアなどの東南アジア、続いてヨーロッパ諸国にも行けるようになったのですが、旅行スタイルはあくまでも団体旅行。参加者は華やかな服で着飾り、大きな観光バスに乗ってスポットからスポットへ移動し、写真を撮ったらすぐまたバスに乗って移動する……という慌ただしいものでした。
「欧州8カ国のツアーに行ったのよ」「あら、私は同じ料金で10カ国に行ったわ」などと、訪問した国の数を競うような風潮もありました。
ところが、前回書いたように親世代とは価値観がまったく異なる八〇後からすれば、親世代の団体旅行スタイルがつまらないといいますか、簡単にいえば「ダサい」と感じていたのです。
彼らが社会人になり海外旅行ができる年齢に達した頃、つまり2000年代後半、中国でもインターネットが普及していましたから、海外の気楽な個人旅行のブログや映像を見て興味を惹かれたり憧れたりし、次第に海外の旅行情報を集めるようになりました。「自分たちは親の世代と違って個人旅行を楽しみたい」と考えた彼らは、ヨーロッパに出かけてバックパックで巡ったり、アメリカで自動車を運転したりして、自由な個人旅行をエンジョイするようになったのです。
2009年には、日本も外務省が中国人観光客向けのFIT(個人旅行)ビザ発給を始め、八〇後のインバウンドが本格スタートしたのです。

やりたい“コト体験”で目的地を決める八〇後

袁 静 氏ところでみなさんは、初めて日本を観光で訪れる中国人たちはどこにやってくると思いますか? 普通に考えれば東京や京都、大阪を訪れ、それをステップ1として、2回目以降は北海道や沖縄、金沢といった観光地を訪れる……そう考えている人が多いでしょう。
たしかに、かつての団体旅行はそうでした。しかし八〇後の人たち、とりわけ上海や北京といった都市部に暮らす八〇後たちは、ちょっと事情が異なります。
彼らからすれば、上海や北京もすでに大都市なので、東京や大阪にはあまり魅力を感じない傾向があります。最近はおしゃれなカフェも増えました。へたをすると「中国の大都市のほうが東京や大阪より発展していて便利だ」とさえ考えています。特に、日頃は大都市の高層ビルにある会社で仕事をしているプチ富裕層にとって、せっかく日本へ旅行に行くのに日常と同じ大都市ではおもしろくありません。きっと冒頭の屋久島の八〇後たちもそう感じていたでしょう。
ここにギャップがあります。日本で中国のインバウンドを相手にする観光業やマーケティングの人たちは、昔ながらの“正論”に依存するクセがまだ抜けていないと思います。つまり、初めて日本に来る中国人はまず東京や京都、次に北海道や沖縄……という考え方です。
たしかに正論なのですが、私から見ると「日本人視点」にすぎないと思われます。個人旅行が当たり前になり、八〇後や九〇後がその主役になった今、それではインバウンド需要をうまくつかむことはできないでしょう。
彼らはいま、“コト体験”を望んでいます。「東京へ行く」という知名度や安定感優先のデスティネーションが始めにあるのではなく、「ダイビングをしたい」「スキーを楽しみたい」「大自然にふれあいたい」といった“コト”をベースにして目的地を選ぶのです。
例えば、「今度の休暇はダイビングをしたい」となったら「ダイビングなら沖縄か、バリ島か、オーストラリアか」と、世界中のさまざまな目的地を並列に考えます。その上で、休暇の長さなどから考えて「今回はオーストラリアにはちょっと日数が足りないので沖縄にしよう」などと旅先を決めるのです。冒頭の屋久島の八〇後の場合、縄文杉トレッキングと比べるのは、スイスやスペインでのトレッキングだったりするわけです。
また、これまでの考えに捕らわれていると、例えば「金沢」や「山形」は正論でいうと3ステップ以降、つまり何度も日本に来ている中国人が選ぶデスティネーションと考えてしまいがちですが、実は「日本文化」「雪体験」「和牛」「ゴルフ」といった“コト”がベースになるのであれば、初めて日本を訪れる地として、中国人に選ばれる可能性も十分にあるわけです。

筆者が発行人を務める「行楽」が開催した屋久島でのイベントでの1枚筆者が発行人を務める「行楽」が開催した屋久島でのイベントでの1枚。

実際、鹿児島県にも、縄文杉トレッキングをはじめ、砂むし温泉を体験したい、黒毛和牛を味わいたい、あるいは日本人にもポピュラーとはいえない甑島など離島にゆっくり滞在してゴルフを楽しみたい、といった“コト”を目的とする中国の人がやってきています。インバウンド狙いのマーケティング戦略を練るにあたっては、この視点を大切にしてほしいと思います。

次回は、八〇後による中国インバウンドの好例として、徳島県観光のお話をしていきます。

 

連載:知られざる中国インバウンドの主役

バーリンホウ(八〇後)のニューリッチ消費

株式会社行楽ジャパン代表取締役社長。『行楽』発行人。
袁 静(えん・せい)

北京第二外国語大学、早稲田大学大学院修了後、日経BP社に勤務し、日本で10年を過ごす。中国に帰国後、北海道の魅力を多くの中国人に知ってもらおうと、2009年に『道中人』を創刊。2011年、北海道観光への貢献が認められ「VISIT北海道観光大使 」に任命。2011年、九州をテーマに『南国風』を創刊。2013年『道中人』と『南国風』を合併し、中国初の和風モダンをキーワードにするトラベルライフスタイル誌『行楽』を創刊。2013年11月に鹿児島県観光への貢献が認められ、「薩摩大使」に任命。北海道知事、鹿児島県知事、佐賀県知事など各都道府県知事をインタービューするなど、中国での日本の観光PRにて活躍し、日本との関係は深い。近書に『日本人は知らない中国セレブ消費』(日本経済新聞出版社刊)。

※肩書きは記事公開時点のものです。